坂本龍馬にみる武士道-6
花見 正樹
龍馬は、蝦夷地開拓や竹島の占拠なども計画しますが、海援隊の経済状態は苦しかったようです。
イロハ丸事件で共闘して紀州藩に圧勝した龍馬と後藤象二郎は、藩の夕顔丸船内で航海中に次なる策を練ります。
京都で開かれる将軍・徳川慶喜、島津久光、伊達宗城、松平春獄、山内容堂による会議に呼ばれた後藤象二郎に、龍馬が智恵を授けたのです。これが世に名高い「船中八策」です。
1、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事
2、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事
3、有材の公卿諸侯及び天下の人材を顧問に備ヘ官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事
4、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事
5、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事
6、海軍宜く拡張すべき事
7、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事
8、金銀物貨宜しく外国と平均の方を設くべき事。
家に二主なきごとく、国に二帝あるべからず。政刑唯一君に帰すべし。
この八策は、龍馬が師の勝海舟の使いで熊本の横井小楠宅で聞いた国是7条を改訂したものです。
この国是7策は藩を1国としての規律でしたが、龍馬はそれを日本の国として広げています。
龍馬は国の将来のために、この八策を日頃から練りに練っていたと考えられます。
この龍馬の私心を捨てて国の未来を思う心こそ、武士道の鑑(かがみ)として讃えられるべきものです。