坂本龍馬にみる武士道-4

坂本龍馬にみる武士道-4

花見 正樹

寺田屋遭難での龍馬の傷は深く、その傷の治療を兼ねて鹿児島の温泉で療養することになります。
この旅がお龍との新婚旅行となります。
龍馬が鹿児島にいる間に、幕府は第二次長州征伐を開始しますが、龍馬らも軍艦ユニオン号で長州に味方して参戦します。
この闘いは、龍馬の仲介でグラバーから長州に渡った大量の新式銃が威力を発揮して、長州軍は連戦連勝で進撃します。
幕府軍は将軍・徳川家茂の死もあり撤兵した(小倉口では交戦が続き和議が成立して戦いは終わります。
将軍・家茂の死後、一橋慶喜が第15代将軍に就任しますが、すぐ大久保一翁から政権奉還論が出されています。
尊攘派を弾圧して一時は幕府寄りの姿勢を見せた土佐藩が、時勢の変化と共に軍備の強化を急ぎ、武器弾薬の購入や薩摩や長州との交渉を龍馬に委託します。
藩政を任された後藤象二郎は、自分が断罪した武市半平太の従兄弟で敵役の龍馬と和睦を謀ります。
その条件として、龍馬らの脱藩を赦し、亀山社中を土佐藩のお抱え団体とすることで経済的な安定を約束します。
こうして龍馬は、自分を慕って集まった多くの仲間の生活を守ったのです。
龍馬はつねに自分のことよし周囲のために働く・・・これが龍馬の武士道の柱かも知れません。