新渡戸稲造著、桜井桜村訳、幅雅臣装丁、えむ出版発刊、復刻版・本体5千円。
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「武士道」の謎ー1
花見 正樹
「武士道」の著者・新渡戸稲造先生は岩手県盛岡市の出身です。
私は、30年來テレビ岩手に出演している関係で盛岡市内の盛岡市先人記念館にも時折立ち寄ります。
そこで、地元出身の顕彰者の遺稿などが陳列される記念展が開かれますので、そんな時に顔を出すのです。
その顕彰者一覧表をざっと眺めただけでも、次のような名前が目に映ります。
ここに新渡戸稲造先生を含む12人をアイウエオ順に並べましたが、あなたは何人ご存知ですか?
石川啄木(たくぼく・歌人)
金田一京助(言語学者、民族研究家)
里見弴(とん・小説家)
楢山佐渡(南部藩悲劇の筆頭家老)
南部利剛(としひさ・第12代盛岡藩藩主)
新渡戸稲造(いなぞう・教育者、思想家)
野村胡堂(こどう、小説家、音楽評論家)
原敬(たかし・内閣総理大臣)
宮澤賢治(けんじ・童話作家、詩人)
山口青邨(せいそん・俳人、工学博士)
山田美妙(びみょう・小説家、詩人、言文一致体の先駆者)
米内光政(みつまさ・内閣総理大臣)
この中に、開運村と関係が深い著名人が一人います。
それは、日本の文学界の草分け的存在である山田美妙先生です。
その山田美妙先生のお孫さんが、開運村・日本文芸学院会長の推理作家・加納一朗講師、曾孫が作家&詩人の山田篤朗講師なのです。
話は、また「武士道」に戻ります。
新渡戸稲造先生著の訳本の復刻版は、開運道の宗像信子講師の経営する”えむ出版”刊です。
この新渡戸稲造先生本の出版を機に新たな「武士道全集」が企画された、と推測できる古書籍が、私の雑然とした書棚の奥に埃を被って寝込んでいました。
明治時代から編纂されて昭和になって世に出た限定版の「武士道全書」です。
ここには戦国時代から近代までの国や武将の遺訓や家訓(かきん)や戦陣訓などがびっしり詰め込まれています。
改めて読み直してみると、「武士道精神」は神武天皇の御世から「武士の道」として連綿として歌に詠まれ、武士道に類する仁と義と滅私奉公の精神を柱とする内容は「武道」などの読み名でどこでも使われていたことが分かります。
その一例をあげます。
命をばかろきになして武士の道よりおもき道あらめやは・・・ 津守国貴(つもりのくにたか・南北朝時代、摂津の住吉神社神官)。
いのちより名こそ惜しけれ武士の道ほかにふべき道しなければ・・・ 新納忠元(にひろただもと。戦国時代薩摩藩島津家4武将の一人)。
たひらけき御代にはあれども武士の道おこたらぬますら雄のとも・・・ 富士谷成章(ふじたになりあきら・江戸時代中期の柳川藩国学者)。
ここでの武士は、もののふ、とも読みます。
次に元禄時代、浅野家の敵討に関して、武士道の文字が出て参ります。
「武士道ノ御仕置被仰付候」
武田氏の「甲陽軍鑑」にも、
「萬展転シテ、第一ハ義理ニ遠シ、就レ中 武士道不案内ナル申分ナり」
このように、全集の第一巻をパラパラと一瞥しただけで、いかに武士道という文字は昔からごく普通に使われていたのかが分かります。
すると、なぜ新渡戸稲造先生の「武士道」が初出のように日本国内でも珍しがられたのか? それが謎になります。
次回は、新渡戸稲造先生が著した内容を、皆さまご存知の著名人がいかに多く歌や文に遺しているか、それを立証します。