武士道とは死ぬことと見つけたりー2

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新春第二弾は、前回に次いで「葉隠(はがくれ)」です。

「武士道とは死ぬ事と見つけたり」

ここまでは、誰でも知っている名文句で一世を風靡しましたから、作者の山本常朝の得意満面な表情が目に浮かびます。
そして、この名文句だけが独り歩きして、戦時中は軍部に都合よく利用されました。

なにしろ「葉隠」を持ち出して武士道の精神は「死を恐れない」としてカミカゼ特攻隊を出撃させ、太平洋の島々での玉砕や沖縄での自決などに利用されましたし、今でもブラック企業ではこの一言で、特攻精神で仕事をさせています。
私は武士道とは無縁の者ですが、それでもこの言葉は大好きで「人生とは、死ぬことと見つけたり」で、いつも死を意識しています。

私のこの言葉の利用法は、毎晩、眠る時に「これから死ぬ・・・さよなら」と眠りにつくのですが、朝起きればしっかりと枕元に手帳があって夢日記を付けていたり、その日の予定を考えているのですから、当然ながら本当に死ぬ気は全くないのです。

それにしても、「葉隠」を書いた当の山本常朝本人が、「我も人なり、生くる事が好きなり」と正直に述べているのですから、この書の全く一部だけを取り上げて、死を美化したり玉砕や自決を推奨するのも変なものです。

この「葉隠れ武士道」は、人付き合いの方法やマナーなどにも触れていて、いわば武士社会を生き抜くためのマニュアル本で、佐賀鍋島藩という狭い地方での武士の生活に根差した処世術の書ともいえます。

これが、太平洋戦争中は、圧倒的に支持されて普及し、太平洋戦後も「葉隠入門」を書いた戦中派作家の三島由紀夫のような狂信的な「葉隠れ支持者」を排出することになりました。
本来、葉隠れとは、葉の裏に隠れて表には出ない、という意味もあって、佐賀武士の山本常朝が、思いつくままに話したのをまとめた書物ですから、どうしても論理的に系統だって解説すると矛盾だらけになってしまいます。

この「武士道」のコーナーの新春版に「葉隠聞書」を持ち出した真意は、この本が駄作であろうとなんであろうと、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という端的で分かり易い一文が、武士道だけでなく人生そのものに当てはまるからです。

私の一番の座右の書は「山河微咲」(いずれ書きます)ですが、前回のこのコーナーで「武士道とは死ぬことと見たり」も座右の銘に加えたいと言いました。私はこのフレーズがすきだからです。しかし、その字句の一部を訂正させて頂きます。

「人生とは、死ぬことと見つけたり」
81歳の誕生日を迎えたいま、もうそろそろという気分になりつつある自分をよしとする今日この頃です。