第十五章 武士道の感化

武士道 本

新渡戸稲造著、桜井桜村訳、幅雅臣装丁、えむ出版発刊、復刻版・本体5千円。
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 武士道を考えるー19

 第十五章 武士道の感化

 武士道は、我が国の士農工商全ての人々の理想の姿として良き影響を与えたました。
桜のように満開で美しく散り際のいさぎ良さを「花は桜木、人は武士」と、桜と武士は対で歌われています。江戸時代の武士階級は、商業に従事することは禁じられていましたから、表だって商売を仕事にすることは出来ませんでしたが、商人も農民も間接的には武士道によって感化され、道徳的な生き方を日常生活に活かすようになっていたのです。
先週、書かなければいけなかった「武士道の命脈」に触れますと、そもそもの武士道らしき思想の起源は、奈良時代から平安時代にかけての各地方に蜂起した荘園軍団の中で兵士の規律を守るために出来た律令が源泉ではないかとする説や、桓武(かんむ)天皇の御代あたりの大宝令による兵制にも影響されているとの説もあります。
その後、武人の変遷に伴い、秩序や風紀の乱れを防ぎ、地方政治の政務官の綱紀を糺して社会秩序を形成守るべく現れたのが、規律を守る新たなタイプの武人です。この「武人」が、源氏と平氏による二大勢力で、当時の地位はせいぜい地方の役人に過ぎず、家柄や門閥を重んじてはいたが、その官位は低く、京都の貴族よりも遥かに低い官位に甘んじながら、さらに一層の武力を養い、富を積み、民衆のために尽くすことに努めたことによって、遂に武士が地方勢力の中心となって、貴族社会の従属から自立しますが、これも武士道への道筋に繋がっています。
このようにして台頭した平家が、京都に出入して優雅で文化的雰囲気の貴族並の暮らしに幻惑されて武士の本分を忘れて堕落し、一方の源氏は野に入って修養し、地方の疎野なる文化裡で鍛錬されて、戦う武士の本領を磨いて、奢れる平家を倒して武士の世を創ったのです。そのための戦士を育成するための最低限の規律、これらも武士道への下敷きになっているのは間違いありません。
このようにして平家を倒して、武人として天下をとった源氏一族は、貴族の柔弱で華美な生活を嫌い、純粋で武骨な武士的素質への精神面の強化と社会的地位の向上を目指して、疎野から洗練された武士への変革が可能となり、ここからも武士道への道が見えています。
源平時代を経て、戦乱に明け暮れた戦国時代から、平和で争いのない江戸時代へ移行するにつれ、武士の精神的支柱を守るために自然発生的に練られて熟成された規律が「武士道」、私(花見)はこう考えています。

 (注)先週、16章を15勝として間違えていました。今回、訂正して内容を捕捉しました。