坂本龍馬は土佐藩の郷士ご用人の次男として生まれた。
家族の皆が、和歌を詠むような豊かな教養を身につけた人たちでした。
実際に龍馬に会った人たちの語る龍馬の印象は、落ち着いた人物で、見識があり、威厳があったといいます
龍馬は幼い頃から外国へ行ってみたいという好奇心の強い少年でした。 生まれ育った城下町の上町は、商人、下級武士、職人、医者などが混在する町です。こうした人々との接触の中で、武士階級以外の人たちとの付き合い方を学び、ごく自然に、平等思考を身につけていったのです。
豪商才谷家から分かれた坂本家には商人の血が流れており、 鋭い経営感覚が龍馬にはありました。 龍馬が取り扱ったスペンサー銃ビジネスの中には、 龍馬の武器に対する鋭い感覚と、海援隊を組織する経営者の判断が表われています。
龍馬と三岡八郎(由利公正)との新国家論の中で「新政府財政構想」があり、 新政府の財政に苦慮する龍馬と三岡八郎がどのような構想を練ったかなどと考えると、財政という視点から新政府を見ている龍馬の先見性が見えてきます。
龍馬は、平等思考、経済感覚、軍事指導力、国家構想力を兼備した 幕末の近代人としての一面をも備えていました。
そんな龍馬の第一の趣味は刀の鑑定です。 そこから見えてくる龍馬の内面を追ってみたこともあります。 それと、今まであまり知られていない龍馬と幕末三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥州)との出会いなどにも触れてみたいと思っています。