第46話 海舟と龍馬

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

第46話 海舟と龍馬

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勝海舟の曾祖父は米山検校である。越後から江戸へ出てきた盲目の青年は死去した時、莫大な財産を持っていた。
子供は十二人で、六男が男谷新次郎で水戸藩士となり、九男が男谷平蔵で幕臣となった。金で買ったサムライの地位である。
男谷平蔵の三男が勝左衛門太郎惟であり、勝小吉という方が誰でも知っている名前である。その小吉の息子が麟太郎で海舟である。一人の妹がお順で佐久間象山の正室である。

坂本龍馬の生まれた坂本家は高知の豪商才谷屋が郷士株を買って興★おこ★した家である。
坂本家初代が直海★なおみ★であり、二代直澄★なおます★、三代直足★なおたり★が坂本龍馬の父である。四代直方★なおかた★が権平兄である。
龍馬は正式には郷士御用人坂本権平弟と書かれている。
この二人に共通するのは関ヶ原合戦以来の武士でないということである。旗本八万騎などと言い、徳川家康と共に関ヶ原で戦った家というのが売り物の旗本も多い。こういう連中は自分の出自を誇るものである。
武家社会というのはそういうものである。そうした中で、自分の能力を武器として生きていく姿が二人に共通しているのである。
幕末期には剣術も身につけていなければ殺されてしまい、目的を達成できない。剣術を上達させるのは度胸である。海舟と龍馬は似ているのである。
そして、これは宮地佐一郎先生に教えていただいたのだが、江戸ッ子と土佐人は気が合うのだと言う。だから海舟と龍馬は気が合うのです。だからあなたと私は気が合うのですと笑っておわれた。名言である。
この師弟は共に佐久間象山塾で学んでいる。同門である。この三人に共通するのは干支★えと★である。
象山 文化八年(一八一一)辛未★かのとひつじ★
海舟 文政六年(一八二三)癸未★みずのとひつじ★
龍馬 天保六年(一八三五)乙未★きのとひつじ★

何かのご縁であろうか。三人が未は珍しい。
海舟と龍馬は後年、仲が良くないという説がある。しかし、遠く離れていても心が通じていれば、何もしないこともある。
「慶応二年二月一日
聞く。薩、長と結びたりと云う事、実成るか。我門柳川の士、当春、薩船に便して下の関へ到りしに、長より早速使者指し越し、手厚成りしと。又聞く、坂龍、今、長に行きて是等の扱いを成すかと。左もこれあるべくと思わる。」
海舟は日記にこう書いている。心が通じているのである。
そして、龍馬が死して十五年のあと、
「日月は転ぶ丸の如し、追想豈漠然たらんや、一龍棺を蓋ひて後、既に過ぐ十五年」とい漢詩を甥の坂本直(高松太郎)に寄せている。
海舟は愛弟子を常に思いつづけていたのである。人と人とのつながりとは、そんなものなのである。