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幕末史研究会
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「坂本龍馬八十八話」
小美濃 清明
第43話 須崎の板垣退助ー2
これは後藤の談判が正しく、談判会場が変更されたことに気づかなかった乾たちの負けである。
談判会場については一部の研究書で夕顔の中とされているが誤りである。夕顔から机、腰を大善寺へ運んでしまっているので、談判はできない。後藤が自からバジリスクに乗り込むという迅速な判断が談判開始を円滑にさせている。後藤の颯爽とした姿が浮んでくる逸話である。
談判はパークスの威圧と怒気を含めた言葉で始まったが、後藤は冷静に対応し、八月七日、八日と二日間にわたり土佐は関与していないと論証した。通訳はアーネスト・サトウが務めた。
その結果、長崎へ行き現地で談判を続けることとして、英国側はパークスの代理で、アーネスト・サトウ、土佐藩側は佐佐木三四郎と決まった。
パークスは英国艦バジリスクで須崎を出航し江戸へ向かった。サトウはバジリスクから土佐藩船空蝉(うつせみ)に乗り移り、須崎から浦戸へと向う。アーネスト・サトウが初めて高知を訪れることになる。
この時、龍馬は夕顔の中で八月八日、兄権平へ手紙を書いている。その手紙には須崎へ来ている理由と、無銘の了戒二尺三寸の刀を拝領したいと書いている。そして、今持ち合せている、時計一面を贈りますとして手紙に添えて権平へ届けている。
この須崎で秘かに須崎港へ上陸しているとも言われている。龍馬は乾退助と語り合ったのかもしれない。