第41話 西郷隆盛と中岡慎太郎

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

第41話 西郷隆盛と中岡慎太郎

宮地佐一郎先生は『中岡慎太郎全集』を完成させた。長い間の念願だった全集の完成は平成三年(一九九一)春であった。
刊行のことばに
「土佐国奈半利川の清流を遡る草深い山村の庄屋から、幕末の維新回天の事業に馳せ参じて奔走挺身した、先覚者、知識人、周旋家中岡慎太郎研究の、現在における集大成として、この一冊を江湖に送ります 編者」
とある。常に坂本龍馬と比較すると、中岡が龍馬の影にあるとして、もっと研究しなければいけないと宮地先生は話されていた。この全集の完成により、中岡慎太郎研究が一段と加速していくのを期待していると嬉しそうにられていた。

慶応三年(一八六七)二月十六日、高知を訪れた西郷隆盛は城下の豪商・川崎深右衛門屋敷を宿所とした。
西郷は散田邸で山内容堂に四賢侯会議への出席を求めた。容堂は承知し、西郷の使者としての役目は終った。 ところが西郷は風邪をひき病床に伏してしまう。暖い鹿児島から来て土佐の寒さで体調を崩してしまった。

しかし、西郷の人気は高く、宿所を訪れて一目会いたいという土佐人も多かった。厚かましい男は、書をねだり、風邪をひき床にあると云っても帰らず、せめて一とひと文字書いてくれと言った男もいる。

そんな中、坂本権平が訪ねると快よく西郷は会った。

弟・龍馬が望んだ坂本家の刀を持参し、これを届けて欲しいと西郷に頼んだ。権平が西郷に見せたのは吉行である。西郷は権平の願いを承知して、吉行を預り鹿児島へ帰っていった。
西郷が鹿児島へ帰ったのは二月二十七日である。
五日後、三月二日、中岡慎太郎が鹿児島へやって来て、三月三日、西郷邸へ一泊している。
高知から預ってきた吉行は西郷の邸にあると考えられる。
西郷は中岡が長崎へ行くことを知っているので、龍馬へこの吉行を届けるよう依頼したと見られるのである。 ただ中岡が長崎を訪れた三月十四日、亀山社中を訪問しているが、龍馬に会った記録はない。
しかし、龍馬が長崎にいなかったのではない。この日龍馬は福岡藤次、岩崎弥太郎を訪れている。龍馬と中岡は長崎で会うことができなかったのである。
その後、中岡は大村で三月十五日渡辺昇に会い、太宰府に向う。
十七日、中岡は太宰府に到着、十七日に三条実美に謁見している。十九日、中岡は太宰府を出発し、二十日下関に着いている。ここで龍馬に会っているので、龍馬は長崎から一足先に下関に戻っていたのである。ここで、権平から西郷へと渡された吉行は、中岡から龍馬へ渡されたと思われる。

龍馬の友、西郷、中岡手を経て、龍馬へ届けられたのである。