明けましておめでとうございます。
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小美濃 清明
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幕末史研究会
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幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。
第259回 幕末史研究会
日時 2018年1月27日(土)午後2:00から4:00 会場 武蔵野商工会館4階 吉祥寺駅中央口徒歩5分 講師 松方 冬子氏 東京大学史料編 纂所准教授 テーマ 「約条・契約から条約へ」
内容 徳川政権を素材に異国人の受け入れと通商がどのような 基本法(「約条」と「契約」)によって統御されていたかを探る 他。
「坂本龍馬八十八話」
小美濃 清明
第35話 大庭儀平・谷村才八の下田報告3
大庭儀平・谷村才八の報告のつづきである。
○女の姿をほしがります。絵にかきますと、三年の命しかないと申しますので
誰でも恐れて写しません。そこで女郎を見本に出してみました。砂金鏡という鏡を女の前に立て両脇に小さなろうそくのようなものを立て、火をつけると、その姿が移ります。そして、火を消してもその鏡に姿が移り、消えません。それをまた紙へ写し取ります。甚だめずらしいものです。
「砂金鏡★さきんかがみ★」と報告されたものはカメラである。ペリー艦隊は写真機を持って来ており、各地で撮影している。銀板写真★ぎんばんしゃしん★機である。
これはフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって一八三○年代に発明された写真術で、彼の名前をとってダゲレオタイプともいわれる。
この写真は直接陽画法のため一撮影で一枚の画像しか作ることができない。しかも左右逆像である。
ペリー艦隊に同乗して来日した写真師はエリファレット・ブラウン・ジュニアである。
ブラウン・ジュニアは、浦賀奉行与力・田中光儀、浦賀奉行支配組頭・黒川嘉兵衛を撮影している。おそらく、下田で撮影したのもブラウン・ジュニアと思われる。
外国人が日本国内で日本人を撮影した最古の写真という位置づけで重要な写真とされている。
下田で撮影する時、すでに「写すと三年の寿命で死ぬ」という迷言ができていて、誰も恐れて写さないと大庭・谷村が報告している。
銀メッキの板に直接、光を当てて画像を写す技法なので、「砂金鏡★さきんかがみ★」と翻訳したのである。実際、銀メッキの板を見ての日本語化であったと思われる。
大庭、谷村が実際撮影している風景を見ていたのか、伝聞だけで報告書を作成したのか不明である。
文章からの感じでは「甚だめずらしいものです」と報告しているので、撮影しているところを見ての報告と思われる。
○異船バッティラと申すのを日本のテンマ船のように思っていますがそれは違います。
筒(大砲)が装備できる打ち船という意味だそうです。才八が咄の他に小船があります。それが当方のてんまです。風が無い時は六人両脇に腰かけてカイ★●●★で漕ぎます。大変早く肝つぶした申します。風のある時は革の帆を使うようです。
ペリー艦隊が軍艦に積んできた小さな舟についての報告である。
バッティラと言われているのは、日本でテンマ船と言う、本船と陸との連絡に使われる船と違うと書いている。バッティラと言うのは大砲が装備できる「打ち船」という意味であると報告している。
谷村才八の報告に他の小舟がでてきますが、それが日本側のテンマ船のことです。これは無風の時は六人ずつ左右に腰かけて、オールで漕いでいきます。カッターである。大変早く、びっくりします。風がある時は革の帆で帆走しますと、書いている。
大庭・谷村は下田の湾内で帆走する小舟を見ての報告である。