第34話 大庭儀平・谷村才八の下田報告-2

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

第34話 大庭儀平・谷村才八の下田報告-2

大庭儀平と谷村才八の報告のつづきである。
○当場所(下田)の女子供に至るまで異人を恐れなく心やすくなりました。初めは女子供は恐れて逃げましたが、道で会っても日本と通りの礼をいたします。歯を染めている女へは彼がユビに自分の歯を左右に摺て手を振り通るそうです。子供、白い歯の女には何やら言いますが、人妻には言葉をかけないと申すアメリカの法だそうです。
お歯黒をしている女性は既婚者である、ということがペリー艦隊の乗組員にも分かったのである。トラブルを発生させないようにというペリー提督の指令が全乗組員に伝えられたのである。
○町家へ異人が茶を求めに参りまして、そこへ珍しい物を置いて並べます。役人へ出しますと、銭と引替と言っております。この頃、直売を待って買う人もいるようです。
乗組員たちは下田で土産品を買うようになったが、アメリカの品物を下田の人々に売る者も出てきたのである。
○異人の船には何刻と申す法があるようです。上陸願を持って上陸して来て、刻限切れになって、本船はバッティラを引き上げたので、ある者はその夜は野宿したようです。翌日帆柱へ登らされるのが罰のようです。そのうちの一人が落下しまして即死しました。ひどく皆が歎きましたので、ねんごろに葬式をいたし村の寺に葬りました。
この事故は『ペリー艦隊・日本遠征記』にも記録されている。
〈ポーハタン号乗り組みの一水兵が不運にもマストの上から落ちて、まもなく亡くなったため、埋葬の準備をしなければならなくなった。
日本当局は、この水兵を陸上に埋葬したいという要請を快く承諾した。そこで埋葬地が柿崎村の近くに選ばれ、そのときから、此処はアメリカ人用の埋葬地にあてられた。葬儀の当日、数人の日本役人が来艦し、日本の法律上必要なのだと言って、死体を検分したいと願い出た。役人は、これは監督官にも自分たちにも自由にできない手続きであるが、委員たちに要求すれば、今後は行なわずにすむはずだと丁重に前置きして、検分を要求したのだった。
まだ棺に釘を打っておらず、日本役人の要求を拒むだけの理由もなかったので、検死は許可された。それから通常のキリスト教の儀式にのっとって陸の埋葬地に葬られた。〉
○日本には子供がたくさんいるのを羨ましいと言っております。彼の国にては五人子供が生まれると、二人は育ちますが、三人は死ぬと申しています。寒中は母子共に死ぬこともあるそうです。母乳が少く、食物に米がなく、ハミなどを喰うそうです。
乗組員と下田の人々の交流は、密度を深めて、このような個人的な話も始めていたのである。健康に育った下田の子供たちの姿はアメリカ水兵の心をとらえたのである。
「ハミ」とは何だろうか。食品のことなので「ハム」と発音したのが、大庭や谷村には「ハミ」と聞こえたのだろうか。下田の人々が「ハミ」と聞いて、大庭や谷村に伝えたのだろうか、そこは不明である。