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幕末史研究会
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第32話 斥候・森澤禄馬の報告2
斥候・森澤禄馬の報告2
斥候の森澤はどのようにして情報をとっているのか分からないが報告は詳細である。「昨十五日はペルリより献上物御受取の様子である。その品は地球蒸気船雛形、これは五間ほどもある。バッテーラ三艘献上の由(よし)。 去る十六日応接の日は又又ペルリ病気の為副将アーダムス上陸、大酔にて当所より■ハ留のところ、「サケサケ」と申し勝手口ニ向い招き候由(そうろうよし)。帰路は足も立たず、船着まで這っていったそうです。この頃の様子、双方甚しく和睦いたしたように見えます。何んという所置なのでしょう。雲の上の事は合点がいきません。喧嘩過ぎては委細も分りませんが、唯今の機密は一切洩しません。「ユスランド」の人物一人乗組んでおりました。これは彼国より使節が参る筈のところ、アメリカ船に同乗し、一人参加していたのですが、病死いたしましたので、葬式をいたしたいと願い出ましたので、横浜という応接所のある所へ葬りました。日本人も立会い、棺の釘も抜き、人物を改めた上に埋葬いたしました棺は座棺で上が広く、下が狭い日本式のものでした。その後、お経を唱えました。日本側より法華宗の一人が引導を渡したそうです。
一日に一度、御門出もありましたところ、諸藩の物見、見物人がの歯を挽くようになくなることはなく、ひっきりなしに人が見物に来ています。 その上、諸藩参勤交代の途中で見物に来るので驚いております。この間も備前の家老、伊木若狭出府の途中で、一同肝を潰しました。騎馬具足櫃の供廻り五十騎でした。この人は三万三千石ということです。」
土佐藩の放った斥候の一人森澤禄馬は詳細な報告を伝えている。特にアメリカ側の様子を克明に描いている。副将アーダムスが酒に酔って日本語で「サケサケ」と叫んでいる様子や船着場まで立てずに這っていたと描写している。森澤はどこにいるのだろうか。実際には見てないのだろうが、応接所の誰かから目撃談を聞いているのだろう。新聞社の社会部記者のように取材しているのだろう。そして文章力も確かであり、その場面が見えてくるような報告書に仕上がっている。 またペリー艦隊に同乗していた人物が病死した際、棺の釘も抜いて遺体の確認をしている様子や、日本側が僧侶を一人参列させて、読経させている場面も生々しい。禄馬は立ち合っていないが、取材と文章力での場面を彷彿とさせている。 そして、禄馬は日米が急に和睦していく様子に疑問を投げかけ、合点がいかないと記している。雲の上のことは分からないという結論であり、自分が握った情報は機密として洩らすことはしないと言っている。 幕末の情報世界も今日も、あまり変わらないということが発見であり、こうした記録を伝えている山内家家史編纂所のすごさを実感するレポートである。