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幕末史研究会
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幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。
3、ペリー来航
第24話 浜川砲台築造
浜川砲台築造
嘉永六年(一八五三)十一月十三日、土佐藩は砲台の築造願を幕府に提出している。
佐々木高行日記には
〈品川大井村抱(かかえ)邸外海岸ニ砲台ヲ築カン事ヲ幕府ニ請フ〉
とあり、抱屋敷外の海岸としている。
ただ海岸に面した砂地なので、十分に固める必要があり、大森、品川御台場を応援できるように海面へ築出す計画であるとされている。幕府へは図面は後から提出するので、許可を先にいただきたいとしている。
明治期になって測量した図面によると、浜川砲台の総面積は
総積 二千三百七拾八坪五合五タ
とある。
天保十三年の幕府に提出した「指出」では八百六十九坪とあるので、約三倍に拡大していることが分る。
ただ、龍馬たちが配置された時は八六九坪のままであった。それはペリー艦隊は、来年四月か五月と予告していた再来航を一月に繰り上げて来航したので、間に合わなかったのである。
その後、次第に埋め立てが行われて現在の姿になったと思われる。
宮地佐一郎先生がご健在の時、龍馬が十九才で警備したという海岸は品川のどこですかと質問したことがある。しかし、誰もその研究はやっていないということであった。
土佐史談会の会員で東京在住という会員の仕事である。と宮地先生に言われて、筆者が基本的なことからスタートした。場所の特定、測量、史料収集という順で調査を進めていき、「寺田左右馬日記」の追跡という作業に入った。
場所が特定された時、宮地先生は一度見に行きたいので、連れていってもらいたいと話されていたが、一時間の車の移動にも病の身では耐えられない状態であった。筆者の撮影した写真で見るだけに終った。
浜川砲台の測量を実施している折、立会川商店街の方々と話をした。それがNHKの歴史番組「運命の言葉」で浜川砲台、勝島運河が放映されると町実体が活気をつけ、今年の大河ドラマで更に大きく動き始めているようである。
土佐藩品川下屋敷の中に建つ品川区立浜川中学校の新入生に毎年、坂本龍馬と品川という講演をすることになっている。
先日は品川区立小中学校教育会社会科研究部の講習会が行われ、五十人を超える先生が集まって下さり、一時間の講演とその後に地域の史跡巡りを実施した。浜川砲台跡、浜川橋(涙橋)、山内容堂墓を先生方と歩いてみた。
小学生、中学生の地域学習の一助になれば幸いと思っている。