第23話 木挽町界隈

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幕末史研究会
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第23話 木挽町界隈

木挽町界隈

坂本龍馬が学んだ佐久間象山塾は木挽町五丁目にあった。明治になってこの辺りは工部省、大蔵省の建物が並び官庁街となっている。霞ヶ関に官庁街ができる前の官庁街は木挽町界隈である。
その当時の地図を見ると、佐久間象山塾はイギリス人ウォートルスの館となっている。
Thomas James Walters(大蔵省土木寮技士)
一八六八年わが国貨幣司が大阪に造幣工場を設立するに当たり、TBグラバーの推薦により香港造幣局の設計・監督を担当したウォートルスを招聘した。
明治元年(一八六八)八月着工し、途中火災が生じたが、再建工事を含め明治三年(一八七○)十一月に大阪造幣局は竣工した。この建物は横須賀製鉄所と並び、わが国の近代ヨーロッパ式建造物として記念されるべきものなのである。
龍馬が後藤象二郎にあて書いた手紙に「江戸の銀座を京都に移す」とい案は大阪に明治三年造幣局を造るという形で実現しているのである。
大阪造幣局の工事は慶応四年八月に着工しており、九月八日の明治改元より早いのである。
ウォートルスは明治四年(一八七一)一月東京に赴任し、銀座瓦街建設工事に従事した。その時、ウォートルスの宿舎が造られたのが木挽町五丁目であり、佐久間象山塾と同じ場所である。佐久間象山の屋敷の三倍ぐらい広い面積であり、ウォートルス館の一部が象山塾の上に建てられたことになる。
その当時の地図で見ると、工部省の隣りに「英人ウォートル館」と記入されている。
明治八年(一八七八)二月、銀座瓦街がほぼ完成したあと、イギリス公使館、兵部省庁舎、霞ヶ関陸軍兵営、木挽町電信中央局等の設計・監督を行っていた。
建築の他にも浅野長勲を説得して有恒社製紙場を設立し、イギリスから弟のアルバート・ウォートルスを呼び寄せ、わが国洋紙製造にも貢献している。
現在この木挽町五丁目辺りは、昭和通りの角から電源開発ビル、日産自動車本社、新橋演舞場と並んでいた。現在、日産自動車本社が移転して、改造工事が進行中である。幕末当時のものは全く残っていないが、当時の堀が自動車道路として使用されており、唯一幕末という時代を連想させるものである。
木挽町という地名はなくなったが、道の名前として「木挽町通り」となっている。
銀座に出るとこの木挽町界隈を歩いて、幕末当時に想いを馳せるが、土佐築地下屋敷、桂川甫周屋敷、大槻平次屋敷もすぐ近くである。龍馬、松蔭、海舟たちが嘉永六年、ペリー来航当時、それぞれに異国を意識し、この江戸の町、木挽町あたりを歩き、あるいは走っていく様子が目に浮かんでくる。