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第256回 幕末史研究会
日時 2017年9月23日(土)午後2時から4時 会場・武蔵野商工会館4階 吉祥寺駅中央口徒歩5分
講師 岩下哲典氏(東洋大学教授) 小林哲也氏(東洋大学大学院生) テーマ「大政奉還」150年によせて
1、大政奉還と政権奉帰をめぐて・小林氏。2、政権奉帰後の慶喜と泥舟・岩下教授
会 費 一般1500円 大学生500円 高校生以下無料
申し込みは下記事務所まで
幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
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幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。
第22話 三田中屋敷
土佐藩の中屋敷は二カ所にあった。日比谷御門内の日比谷中屋敷と三田中屋敷である。
土佐藩が天保十三年(一八四二)に幕府に提出した「指出」によれば
日比谷中屋敷 一一二五坪
三田中屋敷 六九五五坪
とある。
しかし、三田中屋敷は安政二年(一八五五)二月十九日、薩摩藩へ譲渡している。
土佐藩の三田中屋敷は薩摩藩の隣りにあり、武術の訓練に使用した矢などが飛び込み、両藩の間に問題が起きることがあったという「佐々木老候昔日譚」には次のように記録されている。
〔佐々木老候昔日譚〕
翌安政二年二月、三田の藩邸を薩摩に譲渡すことヽなり、藩士は大いに失望した。其の次第は、薩摩の上屋敷は三田に在つて、其の隣が土佐の中屋敷である。丁度今の『イロハ』といふ牛肉屋のある邊だ。さうして其の向ふが有馬で、又阿波の屋敷が隣であつたに依つて、三田の四國町と云ふた。
土佐の辻番は、中々八釜しい、江戸の三辻番の一で、有名のものであつた。所が時々薩摩の侍が来ては縮尻るのみならず、通行の際喧嘩を吹きかける。土佐の辻番は、足輕許りだが、相應の腕利のものを置いてあつたから、それを縛つて薩摩の邸へ渡すと、イヤでも何とか処置をせねばならぬ。さうすると、薩邸の侍は馬に乗つて駆けながら悪口をする。土佐の方でも負けては居ず、棒を投げ、馬を仆して縛る。その時分『土佐の棒』と云へば、名高いものであつた。今度は薩摩の侍が、土佐の屋敷へ石を投込んだり、塀の外から、援身を突込んだり、辻番の行燈を打倒したりして見るが、夫でも叶はぬ。一體土佐の屋敷には本邸はなくて長屋ばかりだが、屋敷が廣いので、在府のものが行つては調練をする。〓が空砲ではあつたけれども、込矢が外れて、_々薩摩の屋敷へ飛ぶ。そこで苦情が起つたが、御親戚の間柄だに依つて、双方とも不都合であると云ふので、終にはその屋敷を薩摩へ譲ることになつたのである。自分等はつまり我藩の重役等が、薩摩のものに殺されたのだと、大にふ平を唱へたけれども、局外であつたから、何時の間に譲つたか知らぬ位であつた。其の代りとして、巣鴨の雲州松平出羽守屋敷を御買入になつたが、これは雲州の隠居が物嗜きに建てたものであつて華奢は華奢だが、木道具が小さくて、別に役には立たなかつた。
其の時分、土佐の屋敷は、鍛冶橋上屋敷に、今の三田、築地、日比谷中屋敷鮫洲、夫から深川の砂村に、鷹狩などの屋敷があった。
土佐藩と薩摩藩が御親戚というのは土佐藩第十三代藩主山内豊熈(とよてる)の妻・〓姫が薩摩藩の島津斉興三女だからである。
広くなった薩摩屋敷は戊辰戦争の時、重要な役目をした屋敷となる。