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第255回 幕末史研究会
日 時 2017年8月26日(土)午後2時から4時
会 場 武蔵野商工会館 4階 吉祥寺駅中央口徒歩5分
講 師 小美濃 清明 (幕末史研究家)
テーマ 坂本龍馬と三岡八郎の新国家財政構想
内 容 新しく発見された手紙の真偽、龍馬と三岡の関係。
新国家の財政をこの二人が構想する過程を見ていく。
会 費 一般1500円 大学生500円 高校生以下無料
申し込みは8月25まで下記事務所まで
幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
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第18話 品川下屋敷の容堂
品川下屋敷の容堂
土佐藩は江戸に三ヵ所の下屋敷を所有していた。
築地(中央区築地一丁目付近)
品川(品川区東大井三丁目付近)
砂村(江東区北砂一丁目付近)
土佐藩第十五代藩主だった山内豊信(とよしげ)は安政六年(一八九五)に隠居し、豊範(とよのり)が十六代藩主となった。
豊信は容堂(ようどう)となり、御隠居様と呼ばれるがわずか三十三歳の若さである。
容堂は井伊大老から一橋派とみなされ、品川下屋敷に謹慎させられている。安政六年九月四日から文久二年(一八六二)八月十一日まで三十七カ月間、品川下屋敷にいた。
容堂は漢詩と酒を愛した謹慎生活を楽しんでおり、そうした心境を漢詩に詠んでいる。
謫居何必言愁苦 謫居何ぞ必ずしも愁苦と言わん
詩酒陶然独閉戸 詩酒陶然として独り戸を閉ざす
西隣知有野僧棲 西隣に野僧の住むあるを知り
月暗林中聴粥鼓 月暗き林中に粥鼓を聴く
詩酒を友とした容堂の生活がしのばれる。粥鼓とは木魚のことである。山内容堂の解説書ではこの木魚の音は品川海■寺(かいあんじ)から聞えたとされている。
海■寺は現在の地図によれば品川区南品川五丁目になる。容堂が謹慎している品川下屋敷は品川区東大井三丁目にあった。海■寺の木魚が聞える距離ではない。一キロメートル以上離れているのである。
品川下屋敷、鮫洲抱屋敷の調査の際、この木魚の音の件も調査した。品川下屋敷の西隣に来福寺という真言宗豊山派の寺がある。この寺の本堂を見せていただいた。木魚が置かれていた。容堂が聴いた木魚と同じものかは分らないが、この来福寺からの木魚の音を容堂は聴いていたと確認した。
容堂の墓は品川区東大井四丁目にある品川区立立会小学校の隣りにある。高知にはないのである。
高知の筆山に初代山内一豊から歴代藩主の墓が山頂から下へ向って墓が配列されているが十五代だけ無いのである。
容堂は品川を愛し、品川に遺言で墓が作られている。
万延元年(一八六〇)三月三日、容堂はこのように漢詩を詠んでいる。
〈C〉 亢龍喪元
亢龍喪元桜花門 亢龍元(くび)を喪ふ桜花門
敗麟散与飛雪翻 敗麟は散り飛雪となりて翻(ま)ふ
腥血如河雪亦亦 腥血河の如く雪亦亦し
乃祖赤装勇無存 乃祖(だいそ)の赤装勇存する無し
汝到地獄成仏否 汝地獄に到りて成仏するや否や
万頃淡海付犬豚 万頃の淡海犬豚に付せん
大雪の朝、品川下屋敷で雪見酒を飲んでいた容堂のもとに桜田門外の変が伝えられて詠んだ漢詩である。乃祖★だいそ★とは祖先のことであり、赤装とは井伊の赤具足である。
〈先祖以来の赤具足というが勇気なぞありはしない。お前は地獄に行って成仏するかわからんぞ。〉
万頃とは広いという意味であり、淡海とは琵琶湖のことである。井伊家は彦根城が居城であり、琵琶湖に面した所領である。
〈広い琵琶湖なぞ犬か豚にくれてやれ〉
桜田門で殺害された井伊直弼に向って、容堂が叫んだ声が聞えてくるような漢詩である。容堂が復権していく雄叫びである。