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第255回 幕末史研究会
日 時 2017年8月26日(土)午後2時から4時
会 場 武蔵野商工会館 4階 吉祥寺駅中央口徒歩5分
講 師 小美濃 清明 (幕末史研究家)
テーマ 坂本龍馬と三岡八郎の新国家財政構想
内 容 新しく発見された手紙の真偽、龍馬と三岡の関係。
新国家の財政をこの二人が構想する過程を見ていく。
会 費 一般1500円 大学生500円 高校生以下無料
申し込みは8月25まで下記事務所まで
幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
Eメール:spgh4349@adagio.ocn.ne.jp
プログアドレス:http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken
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第16話 横浜の異人
小美濃 清明
谷干城(たにたてき)は安政六年(一八五九)、高知を出立して江戸へ向かっている。江戸へ到着する前、横浜の町を見物していた。
おそらく龍馬も脱藩したあと、横浜を見物していると思われるので、谷干城の日記から横浜の町の様子をのぞいてみよう。
「安政六年十月十四日
金川(神奈川)より二十丁(約二キロメートル)の大きな道を塩田の中に作っている。交易場に行くまでに五つの橋を渡っていく。途中に諸役人の屋敷が建っていて、まだ建築中の家もある。茶店なども出来ている。
交易場の三丁(約三○○メートル)手前に関所があったが、入るときには切手(入場券)はいらなかったが、帰る時には町会所が発行した切手をもらわなければ通さないそうである。
交易場は中々盛況で広さは高知の本町ぐらいの広さであり。唐津焼、塗り物細工、小間物屋などが多かった。
大町五、六丁の中の一丁の間は遊女屋であり、料理屋などもある。それらを見たあと、浜辺へ回り、異人の商館の方へ行くと、「ソコもココも異人だらけなり」と驚いている。
かねて聞いているとおり、背が大きく、鼻筋が通っている。髪毛は皆、赤犬のちぢれたようなものだ。長さ二寸位に見える頭巾をかぶり、クツを履き、長さ二尺四・五寸(約七五センチ)ぐらいの杖(つえ)の如き者(ステッキ)を持っている。
異人の店には、織物、小砲(ピストル、銃)、目金(眼鏡)、書籍などが飾ってあり、売っている。
その中の一軒の店の老人が、自分で目金かけて、自分の目を指差して、「よかよか」と言った。これは「よかろうが」と申すことであると干城は書いている。
その側にいた若い異国人が目金をかけて試みると、老人は手を振りながら目をツブリ申した。若き故に見えない。
老眼鏡をかけた若者は見えないと、身振り手振りで日本語でセールスをする老人を干城は楽しそうにみている。
そして「イクラ」と干城が質問すると、老人は「二分ニツ」と言った。別の店へ行くと「二分三ツ」と言ったと干城は書いている。二分二朱ということである。
この町の中を異国人も店を見ながら散歩しているその様子を干城は
〈皆、立派成る男である。女性もいる。五十歳ぐらいのバンバ(お婆さん)も連れており、娘も連れている。娘の顔は玉の如く美しく絶世の美女である。そして、犬を連れているが、我国の犬と違って、大きな耳がたれている。〉
耳の立っている日本犬に見慣れた干城には耳がたれた犬は珍しかったようである。
また英国人とフランス人の見分けがつかないと書いている。これは現在でも同じである。
また欧米人が連れている中国人にも注目している。
〈南京人(なんきんじん)も多く来ております。十二、三才の少年もおります。皆、英国人の雇っている人のようです。南京人は我々と変るところはありません。言語もよく通じます。唐の人は多く口ひげをはやしていると言われますが、今ここに来ている人たちは皆口ヒゲを剃っています。〉
朝から昼ごろまで見物した干城は町役所で切手をもらい仮関所を出て昼食を神奈川宿でとっている。昼めしを食べながら、横浜の港を眺めると十五艘の異国船が浮かんでいた。
横浜が出来た最初の頃の風景である。もの珍しさで、多くの人々が見物に来ている。
龍馬も横浜の風聞を聞き、訪れていたのではないだろうか。
好奇心の強い龍馬であれば、異国人と会話をしたり、飾ってある目金をかけたり、ピストルを「いくら」と言っているかもしれない。耳の垂れた犬に大笑いしていたのではないだろうか。攘夷などという思想は龍馬にも谷干城にもなかったと思われる。