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第255回 幕末史研究会
日 時 2017年8月26日(土)午後2時から4時
会 場 武蔵野商工会館 4階 吉祥寺駅中央口徒歩5分
講 師 小美濃 清明 (幕末史研究家)
テーマ 坂本龍馬と三岡八郎の新国家財政構想
内 容 新しく発見された手紙の真偽、龍馬と三岡の関係。
新国家の財政をこの二人が構想する過程を見ていく。
会 費 一般1500円 大学生500円 高校生以下無料
申し込みは8月25まで下記事務所まで
幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
Eメール:spgh4349@adagio.ocn.ne.jp
プログアドレス:http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken
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第17話 アメリカ味噌
小美濃 清明
谷干城(たてき)の日記に面白い記事がある。
安政六年(一八五九)十月二十七日の記述である。江戸へ出た谷干城は忙しく毎日、江戸の中を歩き回っている。開国して異国の文明が江戸の街を急速に塗り替えている。様々な町の風景が見えてくる一日である。
〈十月二十七日、陰(くも)り。冷茶にて支度(朝食)致す。サイ(おかず)は山本氏の贈り物なり。四ツ前より麻布の谷(親類)へ行く。赤羽橋へ迄、岡村辰四郎、宮崎六郎等同道飯倉片町の下曾根(金三郎)の調練場へ。蛮夷の旅館立派に出来実に大大名の屋敷の如し蛮夷は未だ居渡り不申體也。 九ツ前山ノ内の御屋敷へ入る。頼助さん巻藁(まきわら)を拵へ弓を射る行く否酒を出す。頻(しきり)に断る 不許、五ツ六ツ 呑(の)みて断はる又飯(めし)を出す 三椀食、暇乞仕り帰る。日陰町を通り菊の湯へ入り帰る代十六文。御国のアメリ加味噌(○○○○○○)等蛮夷の衣類を着しクツをはき入場に来る他處人笑ひ詈る実に恥づべし。帰掛熊太へ寄る、昨日の御飛脚状今日山本氏より廻る一同安全大に安心巳屋へ帰支度仕る。青木氏よりをもらふ武藤氏の巳屋や持ち行、開らく。夜に入熊太方行、読む太郎氏も来る。四ツ頃止、蛮夷一段の議論にて九ツ半を聴帰る。火付日記を付る。今夜も亦焼(やけ)る青山通りの由〉
10月27日曇。 冷茶で朝食を食べる。おかずは山本氏の贈り物。10時前に麻布屋敷(土佐藩の支家)にいる谷へ行く。赤羽橋まで岡村、宮崎氏が同道した。飯倉片町の下曾根金三郎の調練場へ行く。蛮夷の旅館(外国の大使館)が立派に出来た実に大大名の屋敷のようがだが、まだ誰も住んでいない。正午前山内の屋敷(上屋敷カ)へ入る。頼助さんが巻タバコをこしらへ、弓を射ているところへ行く。酒を出す。断ったがしきりに断るが許してくれず、五、六杯飲んでやめた。次に飯を出したので三杯たべて帰ってきた。日陰町を通り菊の湯へ入り帰った。入湯料は十六文。土佐国のアメリカかぶれ(○○○○○○○)が異国人の衣類を着てクツ(○○)を履(は)き菊の湯へやって来た。他県人が笑い詈(ののし)る。実に恥ずかしい。帰りがけ熊太へ寄る。昨日の御飛脚便(土佐からの便り)今日山本氏より回ってきた。一同は無事なので安心した。自分の部屋へ帰る支度をする。青木氏よりをもらったので武藤氏の部屋へ行き包を開らいた。夜になり熊太の部屋行き御飛脚を読む、太郎氏も来た。午後10時頃やめた。外国についての大議論は午前1時になったので帰ってきた。日記をつける。今夜はまた火事だ青山通りのようだ。〉
二十三歳の干城の一日は忙しい。麻布屋敷にいる谷(親類)へ会いに行く。赤羽橋まで同行者がいて、飯倉片町の下曾根金三郎の砲術場へ行く。外国の大使館が建設されて大名屋敷のようだ。そのあと上屋敷に行く。帰りに菊の湯へ行くと、土佐人のアメリカかぶれが横浜あたりで買ってきた異国人の洋服を着てクツを履いてやってきた。大きな声で土佐弁で喋っている。同国人として恥ずかしいと干城は苦りきる。築地屋敷に戻って友人の部屋で午前一時まで外国について大議論をしている。
干城は江戸へ入る前、横浜の町を見ている。外国人の様子を見ている。今日は外国の大使館を見た。これから日本はどうなるのだろうと真剣な議論がつづいた。
菊の湯に来たアメリカかぶれの連中は何も考えずにコスプレだ。
青山通りでまた火事だ。一日の日記が終わっている。幕末の江戸の一日が克明に描かれて面白い。