第9話上土と下士-2

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第9話上土と下士-2
安政元年(一八五四)六月に帰国し、しばらくして徳弘孝蔵の西洋式砲術塾に入門している。
そして、桂浜に近い仁井田浜で大砲の実射訓練を受けた記録がある。
安政二年(一八五五)十一月六、七日に実施された訓練には二十九名が参加している。
佐野郷右衛門、橋本三千弥(藩士橋本和太郎世倖)、栗尾源八、猪野儀太郎、奥宮貞之助、猪野半平(郷士)、深尾包五郎(家老山内昇之助嫡男)、桐間廉衛(家老桐間蔵人次男)、酒井
永馬(藩士酒井利右衛門世停)、桐間安之助(家老桐間蔵人四男)、深尾八弥(家老深尾家一族
カ)、新谷孫蔵(郷士)、本山左近右衛門、林馬寿之助(藩士)、学石主税(藩中老)、横山恭助、
和田弾蔵(郷士)、探尾丹波(雲)、山内下総(雲)、山内左織(家老)、山内昇之助(家老)、
桐間蔵人(室)、桐間将監(薯桐間蔵人嫡男)、誓良馬(郷士御用人望権平実弟)、坂
ママ
本権平(郷士御周人)、伊与木辰五郎(郷士)、佐々木竹之進(家老柴田備後家来)、川村参平(家
老桐間蔵人家来)
上土と下士が同じグループで大砲を撃っているのである。しかも家老が五人、その中に下士
が加わったという編成である。
幕末期に誉と、圭と下士の間に階級差別が減少したのだろうか。臨戦態勢に彗た軍事
訓練は上土・下士の階級を無視する形で行われたのだろうか。
私の高知の友人に長宗我部遺臣の子孫がいる。しかし、この人のご先祖は馬廻役であったと
いう。何度も確かめたが馬廻役であり上土であったという。
長宗我部遺臣は下士という制度の中にも例外はあったということになる。