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第8話 お琴の手習本
小美濃 清明
坂本龍馬の親友だった濱田栄馬は、小栗流の剣術を教える日根野道場へ一緒に通う仲であった。
父親同士が親しかったので、子供同士も仲が良かったのである。
栄馬の曾祖父と祖父が上土と下士の乱轢(あつれき)から発生した事件で斬殺されたあと、濱田姓を藤田姓に変えていた。
藤田姓は龍馬が脱藩したあと、濱田姓に戻している。
龍馬と栄馬が親しくしていた頃は藤田姓なので、この章は藤田姓でこの一家のことを書く。
藤田栄馬には二人の妹がいた。長女の琴(こと)、次女の好(よし)である。この好は後に安田家へ嫁いで名前をたまきと改めている。
琴が書道を学ぶ時に使用した「手習本」がご子孫に伝えられて、現存している。
「源氏物語」と草書で表紙に善かれており、裏表紙に「婦知多琴女蔵(ふじたことじよぞう)」と楷書(かいしょ)で書かれている。その横に後
代に書き加えられたと思われる「昔、藤田で後に溝田となりました」という小さな文字がある。
そして朱筆で「嘉永うしのとしの九月」と草書体で善かれている。
嘉永丑年(うしのとし)は六年(一八五三) である。
この手習本は琴の伯父・森本藤蔵が書いたものであり、「源氏物語五十四帖」 の「桐壷」から「夢浮橋(ゆめのうきはし)」まで各一首ずつの和歌が抜き書きされている。
すま あかし
「須磨(すま)」「明石(あかし)」が見開き二頁となっているので見てみよう。
うきめかる伊勢をの海士(あま)を思ひやれ
もしほたるてふ須磨の浦にて
秋の夜の月げの駒よ我が恋ふる
雲井にかけれ時のまも見む
とある。
「明石」の歌には「月毛」と書かれている「毛」の横に平仮名で「げ」と読みが振られている。
「我」の横には「わが」とあり、「時」の横には「と記」と読みが書かれている。
森本藤蔵が十六歳の琴の読みやすいようにルビを振ってくれているのである。
流麗な書体で書く書かれたこの手習本は藤蔵の国学の素養の高さを感じさせるものである。土佐藩の下士(郷士)階級の中に、これだけの人物がいたという事実は注目に値する。
坂本龍馬も和歌を詠んでおり、国学の素養を身につけている。郷士というと上土の下にあり、上土に較べて教育も劣ると考えられがちだが、決してそのようなことはないのである。郷士階級の教育は上土と全く変わらないのである。
この琴は、この手習本が書かれた嘉永六年の翌年の、五月十三日夜、自害している。
琴は美しく、嫁に欲しいという話が多かったそうである。自害の理由は分からないという。
高知の豪商から琴の遺体でも嫁にもらいたいという話があったそうである。
琴の自害を龍馬は知らない。江戸修行から龍馬が高知へ戻ったのは六月二十三日であり、一カ月と十日後である。
作家・津本陽氏は『龍馬』(角川書店)の中で琴を龍馬の恋人としたが、手紙や伝承が残っているわけではない。