第5話 背中にふさふさ-1
小美濃 清明
西内清蔵(にしうちせいぞう)の的場(射撃場)で坂本龍馬が鉄砲の練習をしていたことがある。
一回目の江戸修行が終わって高知へ戻ってきた頃の話である。
坂本家がある本丁筋から少し歩いたところに西内清蔵の的場があった。
清蔵は文化十四年(一八一七)高知の小高坂村に生まれている。十八歳龍馬より年上である。
龍馬の兄・坂本権平が文化十一年生まれなので、同世代という年である。
土佐藩の砲術家で、龍馬が入門した徳弘孝蔵と並び称せられた田所左右次(たどころそうじ)に清蔵は早くから入門していた。
嘉永六年(一八五三) ペリー来航の年である。臨時御用で岩国、長崎と西国を視察している。
ロシアのプチャーチンが来航したという情報で長崎へ行くが、ロシア船は退去して見ることはできなかったが、鋳造所などを見学して帰国している。
この旅行記を『砲術修行西国日記』としてまとめている。
清蔵は自邸の中の「山ノ端」に的場を作り、青少年に砲術を教えていた。その中に谷干城、坂本龍馬がいたという。
坂本龍馬が的場で射撃する時、着物を脱ぎ上半身裸で的をねらっていたという。その時龍馬の背中は体毛で覆われて、まるで馬のたて髪のようだったという。