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第6話 安田たまきの回想
小美濃 清明
高知市の桂浜を見下ろすように立っている坂本龍馬の銅像は、昭和三年(一九二八)五月二十七日に序幕されている。
この日は明治三十八年五月二十七日、東郷平八郎が率いる連合艦隊が日本海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した、海軍記念日であった。
この日、坂本龍馬の銅像を見た老婦人が朝日新聞記者・藤本尚則(ふじもとなおのり)のインタビューを受けていた。
老婦人の名は安田たまきという。たまきは脱藩するまでの坂本龍馬をよく知っていた。たまきは弘化二年(一八四五)十二月二十九日生まれだったので、昭和三年は八十三歳であった。昭和初期まで龍馬をよく知っている女性が高知に健在だったということになる。
たまきの兄・濱田栄馬は天保六年(一八三五)七月二日生まれで龍馬と同い年である。
兄・栄馬と龍馬は築屋敷の日根野道場へ剣術の稽古に通う仲間だったので、たまきは子供の頃から、坂本家に遊びに行っていたという。
龍馬の姉・乙女から長刀(なぎなた)の稽古をしないかと誘われたが、断ったという。乙女は「三十過ぎてから、男を持っていては自由に身が振れんと云って、嫁入り先から帰って来た程の変った人」とたまきは語っている。
龍馬は「当時の若侍の気風とは、何処か違う所があって、エラたがらず、威張らず、温和しい人で、それでいて見識の高い人でした」とたまきは印象を述べている。
たまきの回想で注目すべきところは、竜馬脱藩のあと、兄・坂本権平が栄馬を訪ねて来たところである。
権平は大切にしていた刀の詮議のため、栄馬に向って、
「栄馬、オンシの家へ刀を持って来ちょりやせんかネヤ」
と尋ねている。
「来ちゃアおらん」
と栄馬は答えると、
「それぢゃア、どうも龍馬がおととい家(うち)を出たきり帰って来んが、脱藩したらしい。人を雇うて詮議すると、須崎で、油紙に刀らしい物を包んで背中に負うた龍馬の姿を見た人があるそうじゃが、それから先のことは判らんキニのう」
と権平さんは語っていました。
とたまきは回想している。
この安田たまき証言が重要な意味を持ち、筆者の栄馬一族追跡調査が始まるのである。
栄馬の子、孫、曾孫、玄孫と調査は広がって、次々と新発見がつづいていく。
(1) 福岡宮内の写真で書いた写真も、曾孫の所持されるアルバムに貼られていた。
安田たまきは写真のように美しい老婦人であった。
若い時は姉・琴と共に美人姉妹といって高知で話題の女性だったようである。
山内容堂の側室にという声が掛ったそうである。たまきは当時・好(よし)という名前だったが、側室を断るために、急遽、安田家へ嫁いだそうである。そして、名前も好からたまきと改めたそうである。
安田たまきは昭和四年五月二十五日、死去しているので、死去する一年前の貴重な証言である。
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第252回 幕末史研究会のご案内
日時 2017年5月28日(日)午後2時から4時
会場 武蔵野商工会館4階 講師・合田一道氏(作家)
テーマ 北から見た幕末維新
会費 一般1500円大学生500円高校生以下無料
講義内容
明治維新は北辺の北海道をも揺るがした。
最後の戦いとなった箱館戦争の意味とは。
朝廷がまっ先に北海道開拓に着手した理由とは。
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