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龍馬と刀剣ー11
ここで視点を変えて、幕末期、志士達が拵(こしらえ)を作るという事にどのような意味合いがあったのかを考えてみたい。
現代人が刀剣趣味から刀剣の「拵」を作るのと、それは根本的に異なる点があると思う。志士たちは常に(死)というものを意識した日常にいたのである。(死)はあらゆるかたちで志士達の前に現れてくる。(死) に対する緊迫
感、恐怖感は常に志士達の中にあったはずである。そうした感情を少しでも減少させる事ができるのは身を守る(武器)であり、(武道)である。刀剣を身に帯びることで敵からの攻撃を防御でき、また攻撃を加えることができるのである。強力な使いやすい刀剣を帯びることは、志士たちの心の安定と密接な関係を持っていたはずである。そうした配慮から刀剣は選ばれ、「拵」は作られていたと思われる。
赤心報国(せきしんほうこく)、七生滅賊(しちしようめつぞく)といった文字が鐸(つば)、はばき、縁頭(ふちがしら)、切羽(せっぱ)、鞘(さや)など刀剣の部分品に刻まれているのをよく見かける。それは志士たちの政治思想を明確に反映したものであると共に、志士たちの精神を鼓舞させる(象徴)としての役割を刀剣が持っていたことを表わしている。
また刀剣はその美しさで、志士たちにひとときの心のやすらぎを与える魅力があったと思われる。
志士たちにとって刀剣は様々な意味を持つ、必要不可欠なものであったのである。
龍馬も幕末志士の一人として、刀剣に関しては他の志士たちと大きく変るものではなかったと思う。
龍馬が鹿児島で誂えた短刀合口拵は彼の思想を反映したものであったはずであり、そうしたものを二振りと作る時間を龍馬は持ち合せていなかったと思われる。
この短刀合口拵が完成してから暗殺されるまで、わずかに十七カ月半である。