龍馬と刀剣ー10


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龍馬と刀剣ー10

小美濃 清明

⑤ 『刀剣図考』の入手
龍馬が宿から取りよせた本、『刀剣図考』 は、天保十四年三月に第一集、同年九月に第二集、弘化二年に第三集が刊行され、三巻本となっている。
この「メモ」を龍馬が書いた時点--慶応年間から約二十年前に 『刀剣図考』は三巻本として成立している。この本を龍馬はどこから手に入れたのだろうか。
(薩摩)(長崎)(下関)この三カ所の中でこの本を最も入手しやすい都市はどこだろうか。
『刀剣図考』の著者・栗原信充は元治元年二月二十一日、薩摩藩士・木脇祐尚(きのわきすけなお
)と共に江戸を出発している。薩摩藩主・島津忠義の父で国父といわれた島津三郎(久光) の強い招常に応じ、薩摩藩を訪れているのである。
刀剣・甲胃の研究者であった信充は薩摩藩・甲胃製造所の指導者として迎えられた。
鹿児島に到った信充を島津久光は厚く適している。
薩摩を訪れる前、江戸・神田紅梅坂の信充のもとには、多くの薩摩藩士がその教えを受けていた。
こうした栗原信充と薩摩藩の関係を考えれば、信充の著書『刀剣図考』を最も手に入れやすい場所は(薩摩)(長崎)(下関)の中ではやはり(薩摩)である。
「メモ」は薩摩で書かれたと推定できる。
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第2590回幕末史研究会は、武蔵野商工会館の会場にて大盛況でした。
講師は中世史の第一人者・五味文彦東京大学名誉教授です。
テーマは「織田信長の政権構想」で軽妙洒脱ながらツボを外さないのは流石でした、
講演の内容の断片を少々、ここで語れば・・・
応仁元年(一四六七)五月に戦闘が開始されたときに、あちこちで大量の雑兵合戦のためにかき集められて、それが両陣営あわせて三十万以上もの大軍になり、その年以降洛中の大半が戦火で焼失されます。しかも、戦いは畿内近国へと波及し、それが、結果的に自立の拠点の形成し、城館・庵・館・陣・温泉などの発展に寄与したという説なども斬新で面白い話でした。
あるいは、学問と教育の広がり、手習い所(寺子屋)の広がりなど。啓蒙的な藩主の出現によって城下町が城郭ではなく町人地になって繁栄してゆき、都市の担い手が町人や職人、百姓などになって都市は成熟期を迎える、など、それはそれでよかたのですが、残念ながら幕末史との関連が何もなかったのは残念でした。せめて、信長の政権構想と朝廷との関係が、幕末に朝廷を担いでクーデターに成功した薩長との違いなどに触れてほしかったところです。
文・村長