幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
4、世界一周と海外録音
劇場・小屋めぐりとテレビ出演-5
パリ滞在もあと一週間くらいになったとき、私はとつぜんエジプトのカイロで歌うことになり、エールフランスでカイエに向かった。フランス人はみなカイロのことをカイエといい、それが耳には妙に響いた。今回は土田大使ご夫妻からの招待で、ナイルに浮かぶ船上パーティーで歌った。イヴェット・ジローもこの船上で歌ったと聞いたが、エキゾティックな夜景を楽しみながら、土田大使ご夫妻が日本からたまたまカイロを訪れた柔道選手の一団と、シャンソン
歌手の私を中心に開いてくださったパーティーであった。
翌日は三菱重工に勤める長兄が当時カイロに滞在していて、私をラクダに乗せてピラミッドに案内してくれた。砂漠の中にある古風なテントでできたレストランでは、珍しい料理を食べさせてくれた。そのとき飲んだスープは、モロヘイヤという草をすり鉢ですったものだと聞いたが、日本のとろろ汁によく似ていた。昔は王侯貴族以外は、このモロヘイヤという植物を口にすることができなかったほど貴重な精力飲料だったと聞いたが、とくに美味しいものでもな
かった。今では高栄養価野菜として日本でも売られているから、珍しくはないが。
エジプトの土産は、クレオパトラの時代から有名な香水だということで、七種類の香りの詰まった小瓶を買ってパリに持ち帰り、箪笥の上に並べて置いた。二日ほどしてから、どうにもその香りがたまらなくなり、惜しいけど捨ててしまった。