パリ再び、初録音-4

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

4、世界一周と海外録音

パリ再び、初録音-4

 東芝の石坂氏からパテ・マルコニ社への手紙で私の 「ラ・メール」収録のことを知り、聴きに来たらしい。しかし彼は、そそくさと部屋を出ていった。パリ木の十字架少年合唱団が同じ曲「ラ・メール」を別のスタジオで録音中だと、 スタジオの人がいさむ教えてくれた。この歌は第二次大戦の直後から世界中でヒットし、フラン 山内はもちろん各国で多数の歌手がレコード化しているのだ。
私が懸念していた、吹き込み中のいざこざはいっさいなく、二人の通訳の方も手持ち無沙汰なかの様子だった。モニター室にはさらに、磯村文子夫人の顔も見えていた。NHKの磯村尚徳氏(パリ日本文化会館長)は当時パリに駐在しておられたが、フランス語の達者な文子夫人を、なにか問題が起きたときのためにと派遣してくださったのである。夫人は吹き込みが終わるとまもなく帰られた。
私はちょうどアペリティフの時間だったので、トゥルニュ氏と相談して中華料理店をリザーブし、前菜と飲み物を用意してスタッフの皆さんをねぎらった。フランスでは仕事が終わって仲間と一杯やる習慣はあっても、食事は家庭でとる人が多いから、料理店に残って最後まで夕食をしてくれた人は独身者ばかりだった。
二人の通訳の方が最後まで残ってくれたが、あとはパテ・マルコニのスタジオでバック・コ-ラスをしてくれていた合唱団の皆さんのうち何人かと、若いモニターの方くらいだった。一日の大仕事を終えた私は肩から重荷をおろしてホッとした。