幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
4、世界一周と海外録音
パリ再び、初録音-2
舞台から有名スターたちがちょっと挨拶するだけなのに、客席のほうは超満員で熱気に満ちていた。やがて舞台から戻ったペコーと、私は四年ぶりに再会し、今日のご招待のお礼を言う。
日本でも映画『青春の曲り角』 で人気の出た女優パスカル・プティと一緒に、私もジルベール・ペコーから呼ばれて舞台に上がり「南米からパリへ、ただいま到着した彼は、パリでこれから活躍する日本人です」 という紹介だった。わけのわからない客席は、それでも温かい柏手を送ってくれた。ペコーの計らいは、石坂範一郎氏の手紙によるものであったことを、私は舞台から戻って初めて知った。石坂氏は私が宿泊するホテルの名前を彼に知らせ、このたびパテ・マルコニ社で初めてレコードの吹き込みをするアシノをサポートしてほしい、と手紙に書いてくれたのである。
ペコーもパテ・マルコニの専属であったし、提携会社・東芝レコードの石坂氏からの手紙には重みがあったにちがいない。それにしても、ペコーの人柄と日本人に対する偏見のなさ、四年前に初めて彼の家で出会ったとき、寝間着のままでピアノに向かい、私のために 「メケ・メケ」と 「風船売り」 の伴奏をしてくれたときの彼とまったく変わらない態度に、私は感銘を受けた。楽屋でいただいたアペリティフがまわってきたせいか、目がしょぼしょぼしてきたので早めに退散し、ホテルに戻るといっペんに疲れが出てぐつすりと眠ってしまった。
フランスで初レコーディング パリに着いた翌日から、私はパテ・マルコこ社に電話をかけはじめた。担当のディレクター、トゥルニュ氏と会うためである。ところが、彼は外国に出張中で三日後に帰るとのこと、三日後にまた電話をかけると今度は休暇で休み、その次の日は土曜、日曜と続いたので、彼とシャンゼリゼの事務所で出会ったのは、パリに着いてから六日目だったと思う。
曲目の打ち合わせから始まり、アレンジャー(編曲者)の選択と希望も尋ねられたが、私はお任せすることにした。ただ曲目はスタンダードを二曲と考えて、1ラ・メール」と1枯葉」に決め、たまたま大流行中の1サラダ・ド・フリユイ(サラダのうた)」、あとはその年のサ
ン・レモ音楽祭の入賞曲「ロマンテイカ」を選び、さっそく自分のキイを提示してアレンジをお願いした。