パリ再び、初録音-1

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ

5、パリ再び、初録音

芸能人「ゲラン・ガラ」にご招待-1

 昭和三十五年の世竺周旅行は、北米、南米の次は欧州フランスへ飛んだ。四月半ば、パリは初渡仏以来、四年ぶりである。懐かしいパリ、あのときとまったく変わらないパリの街に着いたとき、キザなようだが、パリに帰ってきた、という感激で陶が熱くなった。街角の古びたビこストロも、カフェの椅子でさ、ろも懐かしく、歩きなれた道を通ってホテルに入った。フロントで部屋の鍵を受け取るとき、一過の封書を渡されたが、気にしないで一刻も早くベッドで休みたいと思っていた。
ホノルル、ロサンゼルス、ニューヨーク、ブエノスアイレス、リオデジャネイロと旅をともにしてきた二つの旅行鞄を開けて衣装をロッカーにつるし、ホッとしたところでベッドに腰かけて先ほど渡された白い封筒を開けてみた。なんと! それはジルベール・ペコーからの手紙で、芸能人の「グラン・ガラ」(慈善大会)への招待状であった。場所はクリシーの角にある大劇場ゴーモン・パラス。しかも、日時は今日、夜六時から。私は呆然とした。少しでもベッドで休みたい。睡眠がほしい。でもグラン・ガラ
にも出席したい。大きく揺れ動く心の中で、四年前私にオランピア劇場出演をすすめてくれたジルベール・ペコーの笑顔があった。せっかくの共演の申し出を断って、インドでのリサイタルを優先して日本へ帰った、あのときのすまなさが切々とよみがえった。
その夜、結局少し遅れて私も「グラン・ガラ」に出席した。シャワーを浴びてから、タキシードのたたみ皺を伸ばすのに時間がかかったからである。ロールスロイスやジャガーなどの高級車が次々と楽屋口に到着して、有名映画人、シャンソン歌手たちが入っていく。私もペコーからの招待状を見せて楽屋口から入り、控え室でアペリティフをいただく。少し遅れて当時人気絶頂のブリジット・パルドーの顔も見えた。