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190505
幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
4、世界一周と海外録音
アルゼンチンでタンゴの録音-2
私はロペス氏と英語で話し合って、楽士たちの意見をなるべく受け入れるように頼んだ。「郷入れば郷に従、え」という諺があるから、私はこの国の人に任せようと思ったのである。ロぺス氏は、それじゃ私に任せてくれと言って大きな声で皆を制止し、楽士たちに譜面どおり弾かなくてもよいことを伝えた。
これは大成功だった。作られた音楽でなく、アルゼンチンで生まれたタンゴの響きがあった。
楽士たちはだれも譜面を見ないで弾きはじめ、「カミニート」は私の考えていたものよりずっと生き生きしてきたように思われた。最初はどうなることかと胸を痛めていたのに、吹き込みは約一時間で終わり、少し休んでから二曲目に入った。「ミ・サンファニーナ」、私のサンファ/娘というフォルクローレ(民謡)である。高橋忠雄先生のもとで練習していたときはとても難しくて、譜面をたどるのに苦労した曲である。やはりちょっと心配であった。ところが、どうしたことだろう。楽士たちは前曲同様、譜面も見ずに弾きはじめ、ヴァイオリンの背中をたたいたりして踊りながら演奏しはじめたのである。これはサンフアン地方に伝わる民謡で、踊りの歌だから、こうして演奏するのがほんとうのやり方なんだという。
「クエッカ、クジャーナ、恋の踊りだ、皆さん、それじゃ一番から歌うぜ」と私がスペイン語でどなると、楽士たちのかけ声がとびかい、踊りの音楽が始まる。練習を一、二回したあと、すぐ本番のテープが回され、盛り上がったところでOKが出た。ロペス氏がモニター室から大きく両手を広げて現れ、「ムイビエン、大成功」と言ってくれたので、ホッとして弧につままれたような気分だった。日本ではあれほど心配して、何度も何度も譜面を見直して勉強してきたが、ほんの短い時間で吹き込みを終わり、嬉しいような物足りないような気もした。フィリベルト氏は高齢のため、私の吹き込みに立ち会うことはできなかったが、ご自宅で直接私の歌を聴いてくださったことは、なによりもありがたいことであり、一生の思い出をつくつてくれた。