幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
4、世界一周と海外録音
初めてのアメリカー1
昭和35年(1960)3月末、世界旅行に旅立つ。初めてのアメリカ行きは胸が躍った。
ハワイのホテルに滞在したときは、プロレスラーの遠藤幸吉氏のエスコートで珍しいレストランで食事をし、ダイヤモンドヘッドへのドライヴは日本人学校校長の小林虎男氏の車を使わせてもらった。ロサンゼルスでは、凸版印刷の山田社長から差し向けられた車でビバリーヒルズ、ハリウッドの見学もしたが、観光と食べ歩きより、私の心はまだ見ぬニューヨークへ飛んでいた。
ニューヨークの空港では、デビュー以来お世話になっている画家の猪熊弦一郎氏ご夫妻が出迎えてくださった。ご夫妻は当時、町の静かな住宅街に女優M・ディートリヒの部屋と向かいあったところにアトリエを持って活躍されておられた。
ニューヨークでの一週間はすべてご夫妻の組んだスケジュールに従ったのである。まずホテルへ向かう車の中で、ニューヨークがどんなに恐ろしいところかを教わった。ペンシルヴァニ駅の近くにあるスタトラ・ヒルトン・ホテルに泊まることになっていたが、このホテルで一時間ほど前に日本人商社員が強盗にあったことを話された。廊下を歩いているとき、とつぜんストルを突きつけられて現金を奪われたということである。それからグリニッジ・ヴィレッジでは殺人事件があり、ハーレムでの誘拐事件では日本の商社が金を積んで社員を取り戻したという。
その夜遅くまで私のためのパーティーを開いてくださったあと、ご夫妻は「夜の一人歩きはいけません」とわざわざホテルの入口まで送ってくださった。とにかく恐ろしいところだから、絶対に一人で出歩かないこと、そう念を押されてホテルに帰り、先日この廊下で物騒な事件があったのだと確かめながら自分の部屋に入った。なるほど廊下は人影もなく静寂そのもので、ここでなにが起きても不思議ではないなと思いながら部屋のドアを開けた。ところが、その中にもう一枚の鉄のドアがある。つまり部屋に入るには、二度ドアを開けなければならないわけである。大都会の中の森の中に入ったような気持ちになり、私は初日の疲れがどっと出てぐっすり寝込んでしまった。