幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
3、初吹き込み・初渡仏
初めてのパリ-5
五回目の偶然は、つい先ごろ、平成十年五月十八日のことである。五月十五日に、私は滞仏中に「パリ日本文化会館」において1日本シャンソン館」主催のコンサートを終え、十七日の午後、パスカル・スヴランのコンサートに出かけた。スヴランはフランスのテレビ局フランス・ドゥ(アンテンヌ2の後身〉で「シャンス・オー・シャンソン(シャンソンにチャンスを)」
という長寿番組の司会と歌をずっと続けている歌手で、平成二年には私もその番組のなかで歌っている。われわれが思っているのと同じように、ピアフやモンタンの時代に花が咲いた良き時代のシャンソンをもっと人々に愛されるよう努力している人である。ウイークデーの午後四暗から四五分、スヴランの司会でいろいろなシャンソン歌手をゲストに迎えている。楽屋を訪
ねたとき、明日この番組でシャルル・トレネが八十五歳の誕生日を祝って出演するから、ぜひ見てほしいと言われたのだ。
私は十八日の午後四時、ホテルに帰って部屋のテレビの前でトレネと向かい合った。八十五歳とは思えぬ若さであった。相変わらずのファンテジスト(おもしろおかしいしぐさで見せる歌
手)である。お得意の「ブン」を歌って、早口言葉が疲れたといった表情をすると、ソワフ、ソワフ(のどが渇いた)と言って花瓶の水を飲みほすまねをして、司会者やスタジオにいる人たちの度肝をぬく。ちょっと太り気味で身体の動きは以前ほどすばやくはないが、声は十分に出ていた。昔懐かしい男声コーラス、コンパニョン・ドゥ・テ・シャンソンが一緒に出ていた。
当時のメンバーのまま、年齢を重ねて、みんな白髪のいいおじいちゃんになっていたが、「わが若かりし頃」をトレネと一緒に歌って、トレネの誕生日を祝っていた。
シャルル・トレネは私が最初に傾倒し、シャンソンにのめり込むきっかけをくれた人である。
奇しくも私はパリを去る前の日、テレビ番組から元気な八十五歳の彼の健在ぶりをじCくり拝見拝聴することができたのは、不思議な因縁だと思っている。 一