幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
3、初吹き込み・初渡仏
本邦初のポピュラーLPと東芝専属時代-2
続いて出したシャンソンのLP『シャンソン・ヒット集』ぁたりからしだいに売れるようになり、やはり芦野宏にはシャンソンが似合うといわれるようになった。なかでも、すぎやまこういち氏が編曲して、担当ディレクターの渋谷森久氏が制作してくださった『パリの休日』には度肝をぬかれた。スタジオに入ると、なんと楽団が入りきれなくて廊下まであふれている。
通常のスタジオでは間に合わないくらいメンバーを集め、予算をふんだんに使って、素晴らしい音を作ってくださった。「パリ野郎」などは、パリのざわめきを取り入れたりしてじつに凝った演出である。また、『シャンソンのこころ』と題したLPも、小谷充氏の編曲がすてきで、しっとりとしたアットホームな味わいがファンからも大好評だった。
越路吹雪さんのレコードが売れはじめたのもこのころで、それまでは越路さんはステージの人で、レコード向きではないなどと東芝の内部でもささやかれていたものである。越路さんとは、私がデビューしてまもなく日劇の舞台でご一緒してから、昭和三十年か三十一年に日本コロムビアで 「モア・モア」をデュエットで吹き込みさせていただいた仲であった。彼女のように、語りの味を出せる歌手がほかにいないからということで、私が相手役に抜擢されたのであった。
越路さんも、ともに東芝レコード専属の第一号になったが、毎年レコード会社の出すカレンダーでは十二月のページで私と彼女は顔を合わせた。七夕さまみたいに、一年に一度しかお会いしませんねと、お互いに昔(~)を懐かしがったが、越路さんも私も仕事が忙しくて、前のように二人でデュエットすることがなく、東芝では一曲も吹き込まなかった。そのころ、コーち
ゃん (越路さん) は、私と会うたびに 「ねえ、ステージ・ダンスやりなさいよ」と言ってすすめてくださった。