幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
2、旅から旅へ
冬の北海道-2
冬の北海道は寒い寒いと文句を言いながら、それでも三回ほどアンコールに応えてコンサート旅行をした。寒くてもなんでも、地元の熱烈な会員から要望されると、私たち歌手は弱いのである。直接、手紙をいただくこともあるが、事務所を通して束になったファンレターを見せられ、私の心は動いた。
北海道も日本海を南に下って奥尻島あたりまで来ると、だいぶ気温も上がって冬でもストーブを置かないところがある。初めて雪の北海道を旅したとき、一〇日日あたりに江差という町でコンサートがあった。二月の中旬だからいちばん寒い季節であるのに、会場には暖房設備がなかった。ストーブがどこにも見当たらず、楽屋に大きな火鉢が一個、舞台にはピアノの足元
に小さな練炭火鉢が一個、置いてあるだけである。ちょっとびっくりしたが、このへんは北海道ではいちばん温暖なところだということであった。あれは四〇年くらい前の出来事だったか
ら、現在はまったく違ってきていることであろう。
その後も北海道へは季節を問わず、何十回となく訪れている。とある小さな町でコンサートを開催したときのこと、練習が終わって本番まで約二時間の休みがあったので街へ出てみた。
ちょっとコーヒーでもと思って探したが、この街には喫茶店というものがなく、食堂はうどん屋さんだけしかなかった。楽屋に戻ると手作りの甘酒が出されたりして、心温まる休息をとることができた。
遠くはるばる東京から訪れる私たちは、どこへ行っても歓待された。コンサートが終わって地元の有志と座談会がもたれ、それが労音の機関誌に載るのだが、出席者の熱気にあふれた表情、発言、態度、シャンソンというものを初めてじかに聴いた感動の波動みたいなものが私の胸にも伝わって、「どんなに苦労しても、また来てあげよう」という気持ちになってしまう。
労音会員の熱意が、私の心を動かし、全国津々浦々、渡し船でしか行かれない孤島までも歌いに行った経験は、私にとって忘れることのできない大きな財産なのである。