幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
1、ポピュラーの世界へ
NHK『紅白歌合戦』連続出場-2
ところで、NHK『紅白歌合戦』に出場するということは、一流の歌手と認められたことを意味して、たいへん光栄に思うとともに、知名度がさらに高まることであり、翌年の正月番組からは前年以上におびただしい出演依頼が殺到して悲鳴をあげた。この年(昭和三十一年)の暮れ、続いて紅白の出演が決まったことを、私は外遊先のインドで知った。初めてのパリ訪問の帰途、カルカッタでコンサートをして、それが終わって楽屋へ戻ったとき、兄から一過の電報を受け取った。菊池維城さん(マネージャ⊥からで†紅白出演、決まりました。相手は越路吹雪さん、オメデトウ」とあった。
この二回目の紅白出演で、私は憧れの大先輩・越路吹雪さんと対抗出演することになったのだ。歌ったのは二人ともシャンソンで、越路さんは「哀れなジャン」、私は「ドミノた である。
この年のトリ(最後を飾る出演者)は笠置シズ子さんの 「ヘイ・ヘイ・ブギ」 であった。笠置さんはこのあと紅白には出ていない。
(注)
昭和三十二年(一九五七)、第八回NHK『紅白歌合戟』芦野宏は三度日の出演、再び江利チエミと対 抗、ジルベール・ペコーの「メケ・メケ」を歌った。二回目出演の美空ひばりはトリで「長崎の蝶々さん」を歌っている。男性側のトリは三橋美智也。
昭和三十三年、帰国した石井好子の対抗者として、ペコーの 「風船売り」を歌う。
昭和三十四年、出場五回目の芦野は四回目の中原美紗緒を相手に、世界のヒット・カンツォーネ「チャオ・チャオ・バンビーナ」を歌ったD美空ひばりは相変わらず紅白のトリを取っていた。司会は紅組が中村メイコにかわり、白組は続投中の高橋圭三。
紅白歌合戦の舞台裏はいつもたいへんな混雑であった。紅組の楽屋は衣装などが大きいから、もっとたいへんだろうと想像しているが、白組のほうもマネージャーと付き人が一人ずついるから部屋はごった返している。化粧前(鏡台のこと)は年功序列で奥のほうから詰めてくるわけで、入口にいちばん近いところは若手になる。先輩に対する挨拶はとくに厳しくて、お茶一杯でも、まず先輩が先に手をつけてからである。だれがこうしろと教えるわけでもないし、注意するわけでもないのに、みな心得ていてルール、マナーは暗黙のうちに守られているのだった。