幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
1、ポピュラーの世界へ
日劇出演と第一回リサイタル-3
大編成の日劇オーケストラを休ませて、舞台の袖に立ってスポット一本で歌った。伴奏はギター一挺(ちょう)だけなので効果は抜群だったらしい。続いて「ラ・メール」はオーケストラ伴奏で華やかに歌い、どちらも万雷の柏手を浴びた。
終戦の年に、山形の霞城館で映画のアトラクションに出たからといって親類から横槍が入ったが、それとまったく同じことを、せっかく大学まで出ながらやっている自分がおかしかった。
しかし、もうだれも止めることはできない。なぜなら幕間の休み時間を利用して、マスコミからのインタヴューの申し込みも多く、全国の新聞や芸能雑誌、ラジオなどで、シャンソン歌手「芦野宏」の誕生を大々的に報じはじめていた。
この昭和二十九年(一九五四)七月の日劇デビューが好評だったせいか、同年九月の十六日から二週間、再び日劇で越路吹雪のシャンソン・ショー『シャンソン・ダムール』に、相手役としての交渉を受け出演し、「ラ・モーナ」「カナダ旅行」「マドロスの唄」「パリは恋の花盛り」を歌った。ほかに共演者は橘かをるさん、ビショップ節子さん、芸大後輩の中原美紗緒さんであった。
その年の十一月一日、第一生命ホールにおいて、記念すべき私の第一回リサイタル(独唱会)が開かれた。プログラムには著名なイラストレーター、長沢節先生の表紙絵・デザイン、東郷青児画伯の扉絵をいただき『芦野宏シャンソン・ルンバ・タンゴの夜』と書かれている。
曲目は「詩人の魂」「マリア・ラオ」「カミニート」など、それぞれのリズム(ジャンル)の代表曲を並べて歌った。たった一日のためか聴衆は長蛇の列をつくるほどの大盛況であった。