NHKラジオ・デビュー・6

幸福を売る男

芦野 宏

Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
1、ポピュラーの世界へ

NHKラジオ・デビュー・6

原孝太郎渡仏記念コンサートで歌ったのも、シャルル・トレネ作「カナダ旅行」と「ラ・メール」であり、昭和二十九年(一九五四)、初めての大舞台・日劇恒例『夏のおどり』でも「フラメンコ・ド・パリ」とともに「ラ・メール」を歌った。さらにウエストミンスター.レコードでポピュラー界では日本人として初めて1Pレコードに吹き込んだもののメインもそれであり、昭和三十一年(一九五六)、初めての渡仏で実現したパリ・オランピア劇場での特別ゲスト出演でも「ラ・メール」を歌った。
その後も何度かパリで歌っているが、平成二年〈-九九〇)の九月にパラディ・ラタンの舞台で歌う前日、パリ市庁舎でシラク市長(当時)からヴュルメイユ勲章を授与されたとき、シラク氏のメッセージのなかに1一九五六年に初めてパリを訪れた芦野宏が『ラ・メール』を歌つて以来、数々のシャンソンを歌って日仏の交流を深めた」という一節があったから、やはり四〇年前のパリのステージ・デビューはいつまでも忘れられないし、忘れてはいけない。
余談だが、私が『虻のしらべ』で歌手デビューする当日、新聞のラジオ番組欄には「歌・芦野宏」と予告されていてびっくりした。私の本名は芦野広で、宏ではない。不審に思い、高橋忠雄先生に確かめたら、なんと先生が漢字を間違えてNHKに登録したとのこと。それにしても、名前が違えば自分でないような感じがして、初めは違和感があった。マスコミでは一部、本名で記されることもあったが、見慣れてくると宏のほうが本名よりやわらかくて芸名らしくよいように思えてきたので、私も意識して「宏」が定着し、それ以来ずっと「芦野宏」を芸名として使っており、こちらのほうが好きになっている。
(注)
ここで、放送の開始、開局などを略記しておく。
《ラジオ》
大正十四年(一九二五)、NHK(愛宕山)、昭和十四年 (内幸町)、昭和四十八年 (渋谷)。
昭和二十六年(一九五一)、中部日本、毎日、朝日、ラジオ東京など。
昭和二十七年、文化放送、ラジオ神戸。八月、NHKラジオ受信契約数一〇〇〇万突破。
昭和二十九年、ニッポン放送。
昭和三十二年、NHKFM。
《テレビ》
昭和二十八年(一九五三)、二月一日、日本テレビ(午前十一時二十分)、NHK(午後二時)。
この日のNHK夜十時のラジオ番組で芦野宏がデビュー。
昭和三十年、TBS。
昭和三十四年、NET(現二丁レビ朝日)(二月)、フジテレビ(三月)。
昭和三十九年(一九六四)、東京にチャンネル(現)テレビ東京。