幸福を売る男
芦野 宏
Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
1、ポピュラーの世界へ
NHKラジオ・デビュー 3
冒頭に記したように、私は当時ポピュラー・ミュージックの熱心なファンが愛聴していた、NHKラジオ夜の看板番組でデビューを果たしたのであった。
テレビはNHKが私のラジオ・デビューと同じ年月日に東京エリアで本放送を開始しているが、受像機がゆきわたるのはまだまだ先のことだった。『虻のしらべ』 は聴取率も高く、たちまち「初めて聴く声です。この人をもう一度」というリクエストの葉書が何通かNHKに舞い込んだという。多くの人の要望によりデビューから二か月後、四月五日に私は再出潰することになった。
その後、民放各社でシャンソン熱が高まり、私はたちまちシャンソン界の新人として扱われるようになった。
NHK「虹のしらべ」でも「ラ・メール」「詩人の魂」を北村維章指揮、NHKシンフォニック・タンゴオーケストラの伴奏で詠うことになり、一躍シャンソン歌手としての地位を築くことになるのである。
「ラ・メール」は作詞作曲者シャルル.トレネが歌って戦後、世界的に大ヒットした彼の代表作の一つで、同じトレネ作の1詩人の魂」とともにフランス語で歌い通した。当時は、男性でシャンソンを歌っている人は、高英男さんだけであった。すでに大スターであった高さんのあとに続く新人として、世間が私にシャンソンを歌わせたかったのかもしれない。
リクエストによって放送局から曲の相談を受けたが、このあと『虹のしらべ』で「小雨降る径」「待ちましよう」を歌ったときは、淡谷のり子さんから電話があって、1よかったわよ、フランス語がよかった」と、あまりほめてもらえない先生から励まされたのは、とても嬉しかった。