Ⅱ 夢のような歌ひとすじ
芦野 宏
1、ポピュラーの世界へ
NHKラジオ・デビュー
東京芸術大学声楽科を卒業して間もなく一年目という昭和二十八年(一九五三)二月一日、NHKラジオ『虻のしらべ』への出演が実現した。私の歌声が電波に乗り全回に流れて、新しい人生の船出となったのである。
その番組では、甘いボレロの「カント・インディオ(インディオの歌)」と、アルゼンチン・タンゴの名曲「ひとしずくの涙」をともにスペイン語で歌った。この二曲はいわば全国の皆さんに聞いていただいた記念すべき最初の曲である。
私がスペイン語で歌われるカンシオン(歌)に惹かれたのは、前にもふれたように、ちょうど芸大の卒業試験が近づいたころで、進駐軍放送で歌われていた歯切れのいいアルゼンチン・タンゴに出合ったからである。卒業はしたけれど、自分の進むべき道が見えなくて試行錯誤を繰り返しているとき、高橋忠雄先生と出会った。
高橋先生は初代三越社長の御曹司で、戦前、欧州・南米を旅行し、アルゼンチンには長く滞在されて、スペイン語が堪能、タンゴに精通され、ご自分でもピアノを弾いたり、バンドネオンを演奏しておられた。代々木の庸酒なお宅で、生徒に教えておられるという噂を聞いて門をたたいた。きれいな奥様はダンスがお得意で、三歳くらいのかわ.いらしいお嬢さんがおられたが、のちにお嬢さんはモデルとして活躍され、若くして結婚された。 。
先生はラテンとタンゴとダンスを研究され、NHK『夕べの音楽』『リズム・アワー』などの放送の番組や舞台の構成・演出、解説、それに編曲・指揮など中南米音楽の紹介と普及に八面六腎の活躍をされた。「原孝太郎と東京六重奏団」と双壁をなすオルケスタ・ティピカ東京(早川真平指揮)の基礎も作っておられる方でもあった。
私は週一回、先生のお宅でたくさんの歌を教えていただいた。「カミニート」「ジーラ・ジーラ」「グラナダ」「ポジエーラ (牧人)」「うそつき女」「サンフアン娘」「神の心」「マリア・ラオ」など。先生は惜しげもなくアルゼンチンの原語を私にくださり、レパートリーはたちまち一〇〇曲を超えるほどになっていた。