幸福を売る男
芦野 宏
3、音楽学校と卒業後
レコード会社オーディション-2
ところが、喋りだすと淡谷さんは、とたんにお国なまりの言葉になり、気のおけない田舎の小母さんみたいな親しみをおぼえる。1あなた、シャンソンやりなさい」。これが淡谷さんの第一声だった。なぜですかと恐る恐る尋ねてみると、1あなたの喋り声聴いてわかるのよ。シャンソンやりなさい」というのである。1オーディション受けてレコード出しなさい。わたし言っておくから」。忙しい人だから決断も行動も早い。さっそく妹さんを呼んでコロムビアとビクターに電話をかけさせ、ディレクターと話をして、日取りを決めてくださった。「なんでもいいから声出して歌ってみればいいのよ。でも日本の歌、一曲入れなきやだめよ」と言われた。
そこで思いついたのが「雨に咲く花」だったのである。
帰りぎわに、私が手をつけなかった高価な栗納豆を包んでくださり、感謝と感激で胸がいっぱいになった。帰ってから、それを仏壇に供え、母と二人で一個ずつ味わいながらいただいた。
そんな贅沢な砂糖菓子は、絶えて久しく口にしたことがなかったのである。
レコード会社のオーディションは、簡単にすんだ。「ハイどうぞ」と言われてマイクの前に立ち、モニター室でディレクターが聴いてテープに収め、後日連絡します、というだけだった。
二日おいてから、もう一つのレコード会社のオーディションに行った。スタジオで小柄な少女が大声で二曲歌っていた。父親らしい人と一緒だったが、やはりテープに収められてすぐ帰っていった。ディレクターは淡谷さんのとくに親しい人だったが、私はマイクの前で一曲はフォ
スターの歌曲を、もう一曲は「雨に咲く花」を歌い、テープに収録されてすぐ帰った。
米軍キャンプのオーディションは、翌日すぐ返事があってスペシャルランクをもらっていたし、淡谷さんは「あなたの一声聴けばわかるわよ」と、いとも簡単に請け合ってくれていた。
しかし、一週間たっても一か月たってもなんの音沙汰もなく、ちょっとした慢心はあったものの、私は再び淡谷さんを訪ねる勇気もなく、いつの間にか諦めて、高橋忠雄先生のラテン、タンゴのレッスンに精を出していた。