幸福を売る男
芦野 宏
3、音楽学校と卒業後
卒業前後-3
四年前の春とは違って、その年は桜の美しさも目に入らないくらい、自分の身辺が逼迫していた。友人たちはそれぞれの道を歩みはじめ、故郷に錦を飾って音楽教師になったり、芸大に
残って研究科に進む者もいたが、私はただ一人自分だけの道を探し求めて歩きはじめた。自ら志願して茨の道を選び、危険な戦場に向かって行くような悲壮な気持ちであった。苦労は覚悟のうえだったが、母と二人で生きていくためには収入のことも考えなければならない。これか
ら先の不安が大きく目の前に広がってきたが、やむにやまれぬ思いは制止することもできず、明日になれば必ずよくなると、明るい希望を捨てずに毎日を頑張るよりほかに道はなかった。
幼いころ、母がよく話してくれた。「みんな同じように勉強していても、毎日わずかでもより多く努力をすれば違いが出てくる。だからちょっとした時間でも利用して勉強しなさい」。
母は小学校の教師をしながら、父を大学にやり子供を育てた人である。母の言葉には真実の重みがあり、私はしっかりと胸に刻み込んでいた。それに私は上田蚕糸専門学校を勝手に退学し、好きな道を選んで音楽を志し、念願どおり卒業できた身である。ここで挫折したらどうなるか、自分でいちばんよく知っていたから、だれにもこぼさずに頑張った。
あれからあっという間に暗が過ぎて、平成二年二九九〇)秋の叙勲で紫綬褒立号をいただくことになり、宮中に参内して天皇陛下からお言葉をいただいたとき、私は芸大の奏楽堂で私の歌を聴いてくださった若き日の陛下の面影をありありと思い出し、四○年の歳月が走馬灯のよ
うに脳裏をかけめぐるのであった。