歌えない日々-4

幸福を売る男

芦野 宏

3、音楽学校と卒業後

歌えない日々-4

もちろん英語で歌われるから発音・発声が一体となっていて、日本語で歌う場合と異なるのだが、高音の 「ビューティフル・ドゥリーマー」と、低音で歌う同じ言葉の部分の粒がそろっているのだ。私はこのクロスピーの歌に憧れた。喋る声と歌う声が同じなのである。苦労して芸大でたたき込まれた発声法は、改めて身づくろいをしてからおもむろに声を出すという歌い方であった。だからこのときは目から鱗が落ちる思いで胸がときめいた。
この時期にはまた、こんな一幕もあった。暗い雨の日だったが、私はある流行歌手の歌声をラジオで聴いて、頭を殴られたように思った。喋り声をそのまま歌にしているからである。自然の発声だから言葉もよくわかり、細かい情感が出せることに気がついて、思ったらすぐ行動に移すたちなので、流行歌手の発声は参考になると思ったからである。
雨の中を同級生の部屋を訪れて私の考えていることを率直に伝えた。
ところが彼の反応は、ひどい剣幕で思いもよらない方向にいった。
「君を見損なった。いくらなんでも流行歌手と同じ発声はひどいぜ。ぼくらは何年もかけてやっとここまで到達したんだ。人に教える立場にこれからなろうという人間が、それはないだろう」。
私は「いや、ちょっとした迷いだったのさ」と言って引き下がった。私は間違ったことをしたと後悔していた。
相談する相手を間違えたのである。まして卒業演奏会を半年後に控えて、お互いにしのぎを削り合っている仲間の勉強に水を差すようなことをしたのだ。それにひきかえ、まだ曲目も決まっていない自分の惨めさ、哀れさをいやというほど思い知らされて、すごすごと雨の中を一人歩いて家路についたのだった。