楽しい生活-1

幸福を売る男

芦野 宏

3、音楽学校と卒業後

楽しい生活-1

重たい衣服をぬぎ捨てて軽やかな足どりで街を歩くと、みんなが自分にほほえみかけてくれる。
世の中が一変してバラ色に輝き、私の新しい人生が始まった。
昭和二十三年(一九四八)四月、憧れの音楽学校に入学できて、春欄漫の上野の杜(もり)を歩きながらの実感は、今でも鮮明によみがえってくるのだ。春の桜がこんなに美しいものと思ったことはない。上野は公園にも学校にも桜があり、そこは別天地であった。
戦前・戦中の抑圧された暗い毎日から解放されて、やっと自由を勝ち得たといっても、食糧や資源不足のため決して明るい毎日ではなかった。戟後三年たったこの年でも、一月に配給物資の横領事件が起こり、帝銀事件や美唄炭坑の爆発事件などがあった。
しかし、音楽だけはだれからも邪魔されない自由があったのである。
学校の食堂はうす汚れた古い校舎の一部だったが、キャッスルと呼ばれ、そこには学生たちに交じって有名な演奏家や教授の顔がすぐ近くにあり、長い間憧れていた音楽の世界にやっと入れたという喜びは、たとえようもないものであった。
この年私は生まれ変わった。そういっても過言ではない。
上野の学生であるということだけで、世間では信用してくれたし、なによりも今や疎開先の映画館で「波浮の港」や「谷間の灯」を歌ったとき大反対した親戚たちも、これからは文句のつけようがない。
陶を張って堂々と音楽の勉強ができると思うと、天にも昇る気分であった。だれにも気兼ねしないで、音楽の世界にどっぶり浸ることができるようになったからだ。