しあわせ
幸福を売る男
芦野 宏
インフレのなかで-4
義姉が一軒ずつ電話をかけてくれた。
「モシモシ、じつは主人の弟が信州から帰ってまいりまして、ハムを持って釆ましたの。アルバイトですので助けてやってくださいませ」といった調子である。兄によく似た私が学生服を着て運ぶのだから、信用しないわけはない。おもしろいようによく売れた。こんどは単価が高いから儲けのほうも大きかった。
二か月近い夏休みも、そろそろ終わりに近づいていたが、義姉はさらにもう一つの計画を心に描いていた。それは自宅を開放して、社交ダンスの教室にすることであった。私が帰る前にということで、八月の半ばから先生を招いて私も生徒になり、兄も義姉も、そして近所の人や知り合いの人も遠方から釆た。そういうことに飢えていた人たちが大勢釆たので大繁盛だったが、まさか兄や義姉が受付に座るわけにはいかないから、客から集金するのは私の役目だった。
私は自分の夏休みを延ばす決心をして学校に届けを出し、十一月の試験までに間に合うよう帰ることにした。
神戸の家はドイツ人が建てただけあって、・フローリングがしっかりしていたが、間仕切りに段差があり、ドアを開けてもダンス教室には不都合だった。それでも週末にダンスパーティーと称して一般公開すると、五〇人以上の人が集まり、一人わずかな金をとっても一晩で相当な金額になり、ばかにできない。
汗水流してかつぎ屋をすうりずっと割がよかったのである。
なぜこんなことまでして、私は働いたのか、普通の生活をしでいれば平凡に生きていけたものを‥‥‥。
じつは白状すると、私の心の中にはいつもモヤモヤした不満が渦巻いていた。ぬるま湯につかったような生活はもうまっぴらだった。信州に帰ったらだれもが優しく迎えてくれ、黙っていても卒業でき、平凡なサラリーマン生活が待っている。
叔父は、そんなに好きなら音楽を趣味にしてやりなさいと言ってくれた。
松尾町の兎束春子先生の主宰する「からたち合唱団」にも紹介してくれた。
若い女性たちと一緒で楽しかったが、それでもまだモヤモヤした不満は解消しなかった。