しあわせ
幸福を売る男
芦野 宏
インフレのなかで-3
懐中電灯の細い明かりでは、私が体いっぱいに飴を隠していることがわからず、汽車はやっと走りだした。
もう釆ないだろうという同乗のかつぎ屋の言葉を信じ、私はまた元のようにリュックに飴を納めると、ぐつすり眠ってしまった。
朝早く神戸に着いて、私はすすだらけの顔で悪臭のしみついた衣服のまま、わが家の裏口から入っていった。
高い石垣の上に立つハイカラな洋風の邸宅に入るところを人に見られたくはなかった。しかしあれ以来私は、いわゆる問屋、かつぎ屋といって非難する気取った人種よりも、恥を恐れず体当たりで生きようとする人たちのほうに共感をおぼえるようになった。ほんとうにあのころは、みんな一生懸命に生きていた。食べるために働き、傷つきながら生きてきたのだ。
ダンス教室の手伝い′銚子からすすまみれになって神戸に帰ったとき、胴巻きの中に残った大金と大量の芋飴はすべて義姉に渡した。義姉から教わったことを実行しただけで、自分一人でこんなことができるわけはない。身近な周りから、こんなにまでしなくてもという非難の声も聞こえたが、私は尊い経験をさせてくれた義姉に心から感謝している。自分だけではどうしても思いつかないこと、まして声野家のどの一人をとってみても、こんな大胆な発想はわいてこない。さすが大里庄治郎の長女だけはあると思った。
芋飴がすっかり売れたので、義姉はさらに別のことを考えた。知人からハムを仕入れて売ることである。賛沢に慣れている神戸のお金持ちの人たちが、それをほしがっているのを知ったからである。
今度はボロ服を着たかつぎ屋の役ではなく、私は学生服を着ていればよかった。