しあわせ
幸福を売る男
芦野 宏
インフレのなかで-2
天井はあっても窓のない貨車は、暑さと息苦しさで失神しそうになったが、夜行列車だったから比較的すいている。
さらに銚子まで乗り継ぐとちょうど昼ごろになる。
私はすすだらけの汚れた顔で大里家の裏口に立った。
顔馴染みのお手伝いさんが気をきかせて、さっそく風呂をわかして入れてくれた。
座敷に通されて刺身と味噌汁で白いごはんを腹いっぱい食べさせてもらい、とても嬉しかった。
さらに嬉しかったのは、大里庄治郎氏が長靴を全部買い取ってくれたうえ、学資の足しにしなさいと、金一封をくださったことだ。ばくは胴巻きの中に、持ったこともない大金をしまい込んで厚く礼を述べ、帰ろうとすると、「どうだ、銚子の芋飴を持って行くなら手配しょう」と言ってくれたので、私は二つ返事でお願いした。
片道だけの商売でなく、往復で商売ができるからだ。
帰りの列車は来るときより混んでいてたいへんだった。
窓から乗り込むこともできたが、私は比較的すいている貨物列車を選んだ。
帰りの貨車は動物を運んだものらしく、尿やふんの臭いが充満していた。だから空いていたのかもしれない。
電灯もなにもない真っ暗な箱の中で、それでも私は自分の座る場所ぐらいのスペースを見つけ、芋飴のいっばい入った大きなリユツクサックによりかかってウトウ卜していた。
横浜あたりで列車がばかに長く停まっていると思ったら、だれかが手入れが始まったと知らせてくれた。
大きな荷物を持っている者は、みな調べられるのだ。とくに闇米の運搬が、この夜行列車ではいちばん多いからである。
私はドキッとして自分の大きなリュックを見た。
これは調べられると思ったので、暗闇の中でリュックの中から長さが半メートルほどの大きさの飴を一本ずつ抜き取り、自分のズボンに入れた。ダブダブの兵隊ズボンはゲートルを巻かなければ足元まで使える。
両足に一〇本ぐらい入れて腰の回りにも入れた。
貨車の壁ぎわに立って二、三本しか入れていないペチャンコのリュックを出して見せた。