幸福を売る男
芦野 宏
インフレのなかで-1
戦争中に亡くなった父は、私の学費として二〇〇〇円残してくれたそうだが、封鎖預金にされていた。
そして戦後のひどいインフレで経済的には窮迫状態であり、たちまちわれわれの日常生活を脅かしはじめた。
義姉(咲子)は千葉の銚子で何代も続いた商家の長女で、兄とは見合い結婚である。
実家の父親・大里庄治郎は婿養子であったが、新たに事業をおこし、電鉄、運送、ホテルと次々に成功させて、千葉県の名士となっていた。その娘である義姉は父親似で、戦後のインフレを乗り切るすべを心得ているような、才覚のある女性であった。
当時、神戸元町のガード下は有名な闇市で、金さえ出せばなんでも手に入るところであった。
神戸にはゴム長靴を作る工場があり、商才にたけた義姉は神戸の長靴を銚子の魚市場に持っていって商売してみないかと、私にすすめた。昔の私なら、やれなかったかもしれない。しかし、10ケ月の兵役で泥まみれの生活をさせられてから、私はなんでもできる人間になっていた。
復員のとき着て帰ったダブダブの兵服に大きなリュックを背負い、貨物列車に乗って長靴を運んだ。
東海道線は京都を過ぎると長いトンネルがあり、息ができないくらい煙が入ってくる。