平和な家庭-2
芦野 宏
米不足から考え出された大根めしやすいとん。お腹をすかせながらも勤労奉仕の毎日を、天皇陛下の命令として、だれ一人疑う者もないかのごとく黙々と働いていた。
ところで、ベル先生は私が上級になるころから敵性人物として監視されるようになり、沼津市の精華学園長・秋鹿敏雄氏の庇護を受けていた。今は先生の大好きだった富士山のよく見える沼津の丘に眠っておられる。後年、偶
然かもしれないが、日本・ニュージーランド・フレンドシップ協会からオークランドでの親善コンサート出演の招待を受けたとき、私は沼津のベル先生の墓にお参りしてから旅立った。
そのコンサートは平成元年(一九八九)六月五日の夜、オークランドで最高級のリージエント・ホテル大宴会場で行われた。プログラムの世界歌めぐりは、斎藤英美氏がエレクトーン一つで琴の音による六段の調べ、南米パラグアイのインディアンハープ風、フランスのシャンソ
ンをアコルデオンの音色で、そしてスコットランド民謡を混声合唱のように、それぞれを多彩に華麗に奏でて聴衆を圧倒した。それにヴォーカルはソプラノの木村仁さんがカンツォーネと日本の歌を、私がスペインの歌とフランスの歌を歌った。最後はマオリの歌「ポカレカレア
ナ」を会場全体が一つになって大合唱となり、いやが上にも盛り上がり、翌日の新聞にはその盛況ぶりが報じられた。私はこんなかたちで日本・ニュージーランド親善に尽くすことができ、しきりにベル先生のことを思い出していた。