芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-5

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-5

 一九八二年(昭和57) 東京都知事の文化使節として、第一回日仏親善パリ・コンサートを開く(8/26、インターコンチネンタル)。以後、海外での親善コンサートに力を入れる。同年、社団法人あゆみの箱(会長・森繁久弥)より、理事として、またチャリティ活動に対して「二十周年表彰」を受ける。芸能人山形県人会会長就任。一九八三年(昭和粥)デビュー三〇周年リサイタル(4/19、郵便貯金ホール)を開き、記念にLP『芦野宏の世界・私のシャンソン史・』発売(クラウン・レコード、八八年CD)。夏に第二回日仏親善パリ・コンサート(8/26、ホテル・ムーリス)でゲストにイヴェット・ジローを迎える。
 一九八四年(昭和59) ハワイ・コンサート(8/25、ヒロハワイアン)開催、同年九月に東京都知事主催レセプションで歌い、来日したパリ市長シラク氏に友好の新曲「パリ・東京」(安井かずみ/加藤和彦)を贈呈。
 一九八六年(昭和61) クラウン・レコード(現・日本クラウン)離籍。
一九八七年(昭和62)四月、社団法人日本歌手協会理事就任(八八年三月まで)。
 一九八八年(昭和の)「ふりむけばパリ」と題し三五周年リサイタル(6/臼、郵便貯金ホール)を開く。
 秋に第三回日仏親善パリ・コンサート(11/㌍ ホテル・ムーリス)でゲストにリーヌ・ルノーを招いて開催。滞仏中シラク市長誕生パーティーに、日本人で唯一夫妻で招かれ、お祝いに歌をプレゼント。