芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-3

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

 芦野宏(本名・羽鳥廣)略年譜-3

一九五九年(昭和34)七月、大阪労音(フェスティバルホール、産経会館ほか)二〇目で三〇回公演ほか、各地で多数。東芝レコード(六〇年束芝音楽工業、現・束芝EMI)専属。
一九六〇年(昭和35)春から初夏にかけて三か月間、世界一周旅行。北米から南米に渡り、アルゼンチン・ブエノスアイレスのオデオン・レコード社でタンゴと民謡を録音。ラジオ、テレビ、ステージでもタンゴをはじめ世界のポピュラーを原語で歌う。さらにフランスヘ飛び、パリのパテ・マルコニ社で「ラ・メール」「枯葉」「サラダのうた」「ロマンテイカ」をレコーディング。国営テレビ『ディスコラマ』出演。
パリを起点にエジプト、オーストリア(ウィーン)、ドイツ(デュッセルド~フ)なども歴訪。日立の帰国 コンサート(9/1、5、東京宝塚劇場)
一九六一(昭和36)三度目のパリ(新婚旅行)、戦後レヴューの女王リーヌ・ルノーとのデュエットで「いつの日かパリに」「モナムール」を録音、仏旦パテ・マルコニ、束芝輸入撃両国で発売。
一九六二年(昭和37) テレビ番組の二ンヤンルとして定着した「ワイドショー」の先駆けNHK『くらしの窓』で総合司会と歌を四月二日の開始から担当有水金)、番組終了まで四年間務める。毎回、明るいシャンソン、ときに新しいシャンソンを歌い、全国の茶の間に親しまれ、従来の日本人のシャンソン観を啓蒙し、歌の楽しみを幅広い層に広めた。翌六三年秋、この番組からパリに派遣され、著名デザイナーのメゾンでのファッションショーに招待、フランス国営テレビの姉妹番組『マガジン・フェミナン』に出演。それに備えて、同年初めに録音した仏訳の日本民謡六曲と服部良一作曲の和製ポップス四曲がパテ・マルコニ社レコード・ライブラリーとして収蔵される。