「日本シャンソン館概要」-1

 幸福を売る男
     芦野 宏

 Ⅲ 新たな旅立ち

5、パリ・コンサートをめぐつて
 
 エピローグ 「日本シャンソン館」 に託す夢

「日本シャンソン館概要」-1「日本シャンソン館概要」
 フランス生まれのシャンソンは、戦前戦後を通じて日本人の心にしっかり根づき、すでに日本の音楽のひとつになっているといっても過言ではありません。シャンソンが日仏親善に果たした役割も多く、二十一世紀に向けてさらにその礎を深め、わが国でのシャンソンの普及と研修、そして憩いの場となる「文化の発信基地」の必要性を痛感し、日本の真ん中に位置する群馬県渋川市に『日本シャンソン館』 (館長・芦野宏)を設立する運びとなりました。 しかし、オープンの年はさんざんであった。阪神淡路大震災に始まり、サリン事件なども起こり、財政面も計画どおりにはいかなかった。そのうえフランスの核実験があって、いわれもなく「日本シャンソン館」への風当たりが強くなり、抗議や嫌がらせのファックス、電話などもあり、「シャンソン」はフランス政府の政治となんの関係もないと、いくら弁明してもわかつてもらえなかった。こんななかで七月七日にプレオープンが決行されたが、群馬児警と渋川警察の多大な協力を仰ぎ、特別にSPをつけて、私自身も衣服の下に防弾チョッキを着けさせられた。「決行すれば生命の保証はできない」という怪文書が此まわっていたし、当日HNHK会長はじめ各界の要人に、もしものことがあってはと思ったからである。
そんな人知れぬ緊張感のなか、プレオープンのセレモニーは大成功裏に終わった。当日の朝、服部ピエレット夫人が運んでくれたイヴ・モンタンの舞台衣装も無事到着し、セーヌ川の水はポリ憲に入ったままエー~フランスの飛行機に乗って届けられた。庭内の小さな噴水池にセーヌの水と、同時に運ばれた板東太郎(利根川)の清流も注がれ、日仏友好の池でミックスされた。その水は電動により循環され、噴水となって天に向かってほとばしった。愛と平和を象徴する白い鳩が鐘の音が高らかに響きわたるなかに舞い上がり、来館者はシャンパンで乾杯し、開館を祝ってくれた。